大関

江戸時代から現代まで24人の歴代の大関の情報を探すことが出来ます。

  • 朝潮

    「大ちゃん」の愛称で人気を博した元力士。得意技は、突き、押し、左四つからの寄り。55年高知県生まれ。高砂部屋所属。78年3月幕下付出で初土俵し、11月場所新入幕。80年、横綱北の湖を破り初金星を挙げ、当時の幕内力士では唯一北の湖に歴然とした差で勝ったことで話題を呼んだ。83年には北の湖、千代の富士、若乃花の横綱達を破り、大活躍。翌3月場所、ついに自己最高の大関の座を射止めた。89年引退。引退後は、後進の指導にあたったり、バラエティ番組にも積極的に出演。また、日刊スポーツの相撲担当評論家でもあり、「大ちゃん 大分析」を連載中。

  • 魁皇

    大関在位歴代2位の記録を持つ名大関。横綱昇進が期待されているが、怪我で実力を発揮できないでいる。横綱になっていない力士の中で最多の5度の優勝、 10回の殊勲賞など多数の記録を持っている。07年から大関としての戦後最高齢記録を更新し続けているが、現在でも若手との豪快な取り組みには定評がある。上手投げ、小手投げなど豪快な投げ技を得意としている。72年福岡県出身。友綱部屋所属。93年に初入幕を果たした。94年の3月場所で曙から初金星を挙げ、その年に小結に昇格。躍進が続くと思われたが、怪我で休場するなど、その後は長らく不遇の時代を送った。しかし00年の5月場所で14勝1負の成績で優勝を果たし、次場所で念願の大関に昇進した。

  • 魁傑

    新入幕時代は輪島、貴ノ花らと並んで「阿佐ヶ谷トリオ」として注目された元大関。肘の故障がなければ横綱になれたと言われている。得意手は突っ張り、左四つ、寄り。48年山口県岩国市出身花籠部屋。高校では柔道部の主将を務め日大に進学後、スカウトされ中退して入門。66年初土俵。71年新入幕。72年3月場所は12勝3敗となり、長谷川との優勝決定戦で敗れたものの準優勝に輝いた。5月場所は小結に昇進して11勝4敗、7月場所で関脇となり10勝5敗で大関候補となった。小結だった74年11月場所では12勝3敗で、決定戦で横綱・北の湖を破り初優勝を果たした。75年1月場所でも11勝4敗となり大関となった。3月場所は11勝4敗、5月場所は12勝3敗で7月場所で横綱昇進がかかったが8勝7敗に終わり綱とりを逃した。その後肘の故障で大関を陥落してしまう。76年9月場所では前頭4枚目で14勝1敗を挙げて2度目の優勝を果たした。77年1月場所も11勝4敗となり再び大関となった。しかし再び肘の故障で77年7月、9月と負け越し大関陥落、79年1月場所で引退した。引退後は放駒を襲名し、花籠部屋の弟子全員を引き取り大部屋へと成長させた。

  • 北葉山

    相手の力を利用するのがうまく、左四つ、寄り、うっちゃりを得意手とした力士。男前な風貌で人気を博した。63年に優勝を果たし、優勝次点3回、横綱大鵬から11勝を挙げた元大関。35年北海道室蘭市輪西町出身・時津風部屋所属。54年に初土俵を踏む。58年入幕、59年小結、61年大関に昇進し、63年に初優勝を果たす。66年引退。

  • 清國

    錦絵から抜け出したような風貌で人気だった大関。得意手は左四つからの寄り、押し。腕力が非常に強く、それを生かしたおっつけや決めだしもあった。荒磯部屋(後に伊勢ヶ濱部屋)所属。41年秋田県雄勝郡(現在の湯沢市)出身。56年初土俵。63年11月場所新入幕。64年1月場所は優勝は逃したが14勝を挙げた、翌3月場所には関脇に昇進した。67年11月場所からは三役を10場所連続で務め大関候補となり、69年5月場所後に大関に昇進した。 7月場所では優勝決定戦で藤ノ川を破り初優勝を果たした。74年1月場所中に引退後は年寄・楯山を襲名、77年に・伊勢ヶ濱を襲名して部屋を継承した。

  • 霧島

    大相撲における筋力トレーニングの有効性を示した元大関。左四つからの、吊り、寄り、出し投げを得意手とした。現在は陸奥親方。59年生まれ、鹿児島県出身、元井筒部屋所属。84年7月場所で新入幕。86年11月場所は前頭7枚目で初めて2桁勝利、技能賞を獲得した。89年1月場所に小結で惨敗してからは、鍛え方を徹底的に見直し、肉体改造に励んだ。この結果強靭な肉体を作り上げ、三役に定着。関脇で迎えた90年3月場所では、横綱千代の富士を吊り出して勝ち、千代の富士の通算1000勝達成を阻んだ。同場所後、大関に昇進。その後不振が続き、96年3月場所をもって引退を表明。引退後は、97年に陸奥親方の退職を受け、陸奥に名跡変更するとともに陸奥部屋を継承し、立田川部屋を吸収して突如大部屋の親方となった。

  • 琴欧州

    懐の深さと抜群の格闘センスで番付を駆け上がったブルガリア出身の力士。右四つ・寄りを得意としている。1983年生まれ、佐渡ヶ嶽部屋所属。レスリング欧州ジュニアチャンピオンの肩書きを持っている。来日後、2002年に初土俵、2004年新入幕、2005年関脇昇進、2006年に大関となった。入門からわずか19場所での大関昇進は、年6場所が定着した1958年以降では幕下付出を除き史上最速。昇進後は怪我に悩まされたほか、プレッシャーのかかる場面での勝負弱さも露呈し、特に2007年は1度も2桁勝利を挙げることができなかった。しかし、2008年5月にヨーロッパ出身力士では初となる優勝を果たした。

  • 琴風

    「ペコちゃん」の愛称で親しまれた元力士。得意技は、左四つからの寄り。57年三重県出身。佐渡ヶ嶽部屋所属。77年新入幕。左膝の大ケガで2度も幕内を陥落し、大関目前から幕下30枚目まで落ちたこともあったが、81年関脇で初優勝、大関へ昇進。83年にも関脇朝潮との優勝決定戦を制した。84年には、入幕2場所目ながら「殺人突っ張り」で上位陣を次々と破り、優勝候補の小錦を千秋楽でついに打ち負かした。85年引退。引退後は、尾車親方として尾車部屋を率いて後進の指導に当たっていたが、09年に若麒麟の大麻所持事件により降格の処分を受けた。

  • 小錦

    史上初めての外国出身大関。現役時代の体重285kgと、ギネスブックの相撲の項目で「最も体重の重いプロスポーツ選手」と紹介されていたほどの大柄力士。現役時代からそのキャラクターは際立っており、多数テレビCMに出演するなど、国民的人気を誇った。。63年生まれ、ハワイ州オアフ島出身、元高砂部屋所属。入幕2場所目の84年9月場所、前頭6枚目の地位で千代の富士、隆の里から金星を奪うなど上位陣をなぎ倒し、殊勲賞と敢闘賞を獲得。「黒船来航」と恐れられた。87年5月場所後に念願だった大関昇進を果たした。その後横綱を期待されたものの、膝の故障の影響で不振が続く。89年11月場所で不振を脱し、千秋楽で悲願だった幕内初優勝を果たす。史上2人目の外国出身の優勝力士となった。その後も勝ち星を重ねるが、横綱に昇進することができず、角界における人種差別問題が話題になった。翌5月場所以降は成績が下降し、在位39場所で大関から陥落。97年11月場所をもって引退を表明した。引退後は取得していた年寄株を使用して年寄佐ノ山を襲名。しばらく高砂部屋付きの親方として協会に残ったが、短期間で退職し、その後タレントに転向した。

  • 貴ノ浪

    新入幕・新大関を同時期に果たした元横綱武蔵丸と、自他共に認めるライバル関係にあった力士。上手投げと極め出しが得意技。71年生まれ。青森県出身、二子山部屋所属。87年初土俵。91年新入幕を果たす。94年大関昇進。96年1月場所で初優勝を飾るも、足を痛めた影響により99年11月場所でに関脇転落。その直後の場所で大関復帰を果たしたが、二場所連続負け越し再び関脇陥落。これ以降、大関に返り咲くことは無かった。その後平幕まで陥落し成績も低迷、04年には心臓の不調により相撲を続けられなくなり、05年をもって引退した。

  • 貴ノ花

    大相撲の歴史上最高の人気を誇った名大関。長く破られなかった大関在位50場所の記録を持つ。名横綱初代若乃花の弟という血筋のよさと、細身で均整のとれた体格と甘いマスクから「角界のプリンス」と呼ばれた。小兵ながら四つ相撲が得意で、高見山など大きな力士相手に驚異的な足腰の強さで粘り、勝利を収めた。引退後は二子山親方として二人の息子を横綱三代目代若乃花と貴乃花に育て上げた。50年青森県弘前市出身二子山部屋。中学時代は水泳の名選手。65年5月場所、本名花田として初土俵。68年11月場所には18歳8ヶ月という史上最年少で新入幕を果たした。その後一度十両に下がるが70年1月場所貴ノ花と改名して再入幕、10勝5敗で敢闘賞を獲得した。72年9月場所の千秋楽で輪島との水入りの熱戦を演じ敗れはしたものの、場所後に二人揃って大関に昇進した。貴輪時代を期待されたが北の湖の台頭に押されならなかった。75年3月場所千秋楽で北の湖に敗れ優勝決定戦となったが、これには勝利し初優勝を遂げた。9月場所にも優勝横綱昇進を期待されたが、ならなかった。77年1月場所12勝、3月場所13勝と再び綱とりを期待されたが再びかなわなかった。以降は力が徐々に衰え、9勝6敗レベルの成績を続ける「クンロク大関」などと揶揄されることもあった。80年11月場所3日目、千代の富士に敗れ引退を決意したのは有名。81年1月場所途中に30歳で引退した。引退後には年寄・鳴戸を襲名し、後に藤島に名跡変更、その後二子山部屋を継承した。05年55歳の若さで死去した。

  • 大麒麟

    早くから大関候補と言われながら大関になるのが遅かった遅咲きの力士。大兵なのに足腰は柔軟で、得意手はそれを生かした右四つからの吊り出しと寄り切り、そしてうっちゃり。 42年佐賀県佐賀郡出身二所ノ関部屋所属。58年5月場所に本名の堤として初土俵、後に「麒麟児」と改名した。63年9月場所新入幕を果たしたが怪我で幕下に転落、65年7月場所再入幕となった。69年1月場所からは11場所連続で三役となり「大麒麟」と改名した70年5月場所から9勝6敗、2場所連続の12勝3敗を挙げ、大関に昇進した。横綱の素質といわれながら優勝もなく74年11月場所に引退した。引退後は年寄・押尾川を襲名した。 04年から2年間審判部長を務めた。

  • 千代大海

    大関在位期間の最長記録を更新し続けている力士。突っ張りを得意とする。76年生まれ。大分県出身、九重部屋。入門前は、九州で一番のヤンキーとして名を轟かせていたという過去を持つ。92年に初土俵。97年に新入幕を果たす。98年に新小結、翌年には新関脇となる。99年の一月場所千秋楽では、横綱若乃花に勝利し念願の初優勝を果たし、大関に昇進した。その後10年間にわたって大関の地位を確保し続けているものの、怪我などによる成績不振から角番となることが多く、角番最多記録も更新し続ける不名誉をなめている。

  • 出島

    立合いからの出足が最大の特徴であり、鋭い出足が冴えたときには四股名に因み「出る出る出島」または「白い弾丸」とも呼ばれた元人気大関。74年生まれ、石川県出身、武蔵川部屋所属。96年3月場所において初土俵。新入幕まで負け越し知らずで出世し、97年3月場所では新入幕ながらもいきなり11勝の好成績を挙げ、敢闘賞と技能賞を同時に獲得。97年9月場所では、前頭筆頭の地位で当時二人横綱の貴乃花・曙を下し、2個の金星を獲得、小結を飛び越えて関脇に昇進。次期大関候補と注目された。99年7月場所では幕内昇進後13勝2敗の最高成績を挙げ、千秋楽では横綱・曙との優勝決定戦を制し、念願の幕内初優勝を果たす。この場所後、大関昇進を決めた。その後不振が続き、09年7月場所後、引退を表明。既に所有していた年寄・大鳴戸を襲名した。

  • 栃東(二代目)

    頭を下げ、脇を締めて相手を押し上げる左右のおっつけに定評のある元力士。76年東京都出身。玉ノ井部屋所属。94年初土俵。95年は1月場所は膝を痛めたが、9月場所までには26連勝を飾り幕下に昇進。同年11月場所には新入幕し、97年には新三役に昇進。その後、捻挫や剥離骨折で休場が続くが、01年1月場所には三役に復帰。11月場所では、大関昇進。02年には幕内最高優勝を果たしたが、怪我続きで成績は低迷。06年に3度目の幕内最高優勝。その後も体調を崩し、07年引退。引退後は後進の指導に当たった。

  • 日馬富士(安馬)

    鋭い立合いを武器に、真っ向勝負をしかけることで有名な力士。伊勢ヶ濱部屋所属。得意技は突き出し、右四つからの寄り、押し出し。84年にモンゴルで生まれる。01年初土俵をふみ、04年新入幕。06年に朝青龍戦で初金星を挙げる。08年の11月場所にて、出だしで苦戦したものの、後半巻き返し11連勝を収める。この時5度目の技能賞受賞を果たし、場所後大関に昇進。四股名を「安馬」から「日馬富士」に改名した。09年5月場所では、自己最多の12連勝を含む14勝1敗の成績で白鵬との優勝決定戦に臨み、初優勝を果たした。

  • 北天佑

    角界で3本の指に入る程の怪力でも知られた元力士。大胆かつ豪快な取り口を身上とし、「北海の白熊」とも呼ばれた。60年北海道生まれ。三保ヶ関部屋出身。76年初土俵。80年新入幕。83年、3場所連続10勝以上の好成績で、同年5月場所には優勝し、見事大関に推挙された。8年もの長きに渡って大関を務め、85年優勝を果たした。その後怪我や病気で思うように勝ち星があげられなかったが、89年千秋楽では横綱千代の富士を下して優勝決定戦のキーマンとなるなど久々の活躍をみせた。90年引退。06年に、45歳の若さで腎臓癌のため死去。

  • 前の山

    張り手を交えた突き押し相撲で人気を博した大関。得意手は突っ張りと左四つからの寄り。45年大阪府北河内郡(現在の守口市)出身、高砂部屋。61年3月初土俵。66年11月場所に新入幕を果たした。68年3月から幕内上位、三役に定着。70年7月場所に横綱・北の富士に優勝決定戦で敗れたものの、場所後に大関に昇進した。しかし、翌9月場所前の稽古中に右足を故障し全休、その後本来の相撲がとれなくなり、72年3月場所を最後に大関から陥落、以降は幕内力士となった。74年3月場所後に引退した。

  • 初代増位山

  • 二代目増位山

    歌手、日本画家としても有名だった多趣味の大関。父はやはり大関だった初代増位山。技能賞5回という実績を誇る技巧派大関で、得意手は右四つからの上手投げ・上手出し投げ。他にも内掛け・外掛け・内無双など多彩な技を繰り出した。48年東京都出身、三保ヶ関部屋。 67年瑞竜として初土俵。68年に増位山を継ぎ、70年3月場所に入幕。79年11月場所関脇で11勝4敗、翌年1月場所12勝3敗をあげ、場所後大関に昇進した。31歳2ヶ月の当時最年長記録だった。その後も最高でも10勝止まりで優勝争いに絡むこともなく、81年3月場所中に引退した。歌手としては78年に「そんな女のひとりごと」が130万枚の売り上げを記録する大ヒットとなり、同年の日本有線大賞ではベストヒット賞を獲得した。画家としては二科展入選の常連だった。

  • 武双山

    「平成の怪物」とも呼ばれた元力士。得意技は、突き落とし、押し、左四つからの寄り。72年茨城県出身。武蔵川部屋所属。93年幕下付出で初土俵し、2場所連続7戦全勝。同年9月場所新入幕。94年には初の上位挑戦だったが、いきなり横綱曙を下して金星を獲得、そして三賞受賞。翌3月場所には当時の最速記録で関脇に昇進。さらに00年1月場所では関脇の地位で幕内初優勝し、3月場所で大関昇進を果たした。04年引退。06年からは審判委員を務めている。

  • 豊山

    大学卒の力士として初めて大関となった“インテリ大関”。得意手は突っ張りと右四つからの吊り、寄り、上手投げ。 37年新潟県新発田市出身で時津風部屋所属。高校時代は陸上や野球で活躍。東京農業大学に進学後相撲部に入部し相撲を始め、4年生時には学生横綱となった。61年3月場所で幕下10枚目格付出で初土俵を踏んだ。62年1月に新入幕を果たし、63年3月場所には大関に昇進した。その後横綱昇進を期待されたが、13勝を3度、12勝も1度挙げながら優勝できず、ならなかった。64年7月場所、68年3月場所と優勝の機会があったが、富士錦、若浪という平幕に優勝をさらわれた。 68年9月場所を最後に引退した。引退後は時津風部屋を継承した。98年から02年まで理事長を務めた。

  • 若嶋津

    小柄な体つきだが、凛々しい顔立ちで「南海の黒ヒョウ」の異名を取った元大関。下手投げ主体の戦い方。夫人は、元アイドル歌手の高田みづえ。57年鹿児島出身。75年に初土俵。新入幕した81年の初場所で10勝をあげて敢闘賞を獲得。83年大関に昇進。その後、10勝前後の安定した戦い方で、84年の3月場所と7月場所で優勝。横綱間近と思われたが、翌年平幕力士に敗れ、連覇と横綱の座を逃した。85年には左の肩と肘を捻挫して途中休場し、以降成績が下降し始めた。さらにその後、糖尿病を発症し、87年に引退。引退後は年寄松ヶ根を襲名し、松ヶ根部屋を創設した。

  • 若羽黒

    独特の押し相撲が持ち味の、押し、左四つ、寄りを得意手とした力士。若い頃からその才能を発揮したが、稽古嫌いで衰えが早かった。34年神奈川県横浜市中区出身・立浪部屋。49年に14歳で初土俵を踏み、54年には19歳の若さで十両に昇進、翌55年に入幕を果たす。59年に大関昇進、優勝を果たし、横綱入りを期待されるが、60年以降綱を狙える成績を残すことはできず、65年に引退。

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