横綱

江戸時代から現代まで37人の歴代の横綱の情報を探すことが出来ます。

  • 11回の優勝経験を持ち、90年代の角界を盛り上げた外国人初の横綱。得意技は突き出し。ハワイ・オアフ島出身、東関部屋所属。69年生まれ。88年初土俵。91年に新入幕。92年の五月場所で初優勝し、大関昇進を果たした。その後優勝を二度重ね、93年に横綱昇進。横綱若乃花・貴乃花と何度も名勝負を繰り広げた。94年に怪我をして以来故障が多くなり、01年の一月場所をもって引退。その後は格闘家に転向し、K-1やプロレスに出場している。

  • 朝潮(三代目)

    3月場所での活躍が目立ち、大阪太郎とも呼ばれた第46代横綱。優勝回数5回、殊勲賞を4回受賞し、金星を7つ挙げた。 東宝映画『日本誕生』に手力男命役での出演を果たしたり、週刊少年マガジン創刊号の表紙を飾るなど、人気の高い力士。29年鹿児島県徳之島出身・高砂部屋。48年初土俵を踏み、51年新入幕、53年関脇に昇進。56年3月場所で初優勝を飾った。翌年3月場所では史上初、横綱大関総なめの快挙で2度目の優勝をした。さらに58年にも3月場所を制覇し大阪場所3連覇。大阪太郎の名が定着することとなった。59年に横綱に昇進。61年に優勝したが翌年引退。大山部屋を継承し自身は振分を襲名。71年には5代目高砂となり、高砂部屋を継承した。

  • 朝青龍

    「平成の大横綱」とも形容される現代最強の横綱。幕内優勝23回は歴代単独4位。一方 、横綱としての品格や問題のある言動でマスコミを騒がせている。高砂部屋(若松部 屋)所属。得意技は突っ張りと左四つからの寄りと投げ。80年モンゴル・ウランバー トル出身。15歳でモンゴル相撲を始め、若松親方の誘いで入門、99年初土俵。01年1月 に新入幕し、02年7月に大関に昇進。11月場所、翌年1月場所に連続優勝して03年に横 綱に昇進した。04年には1月場所・3月場所で、2場所連続全勝優勝、連勝は35勝で止ま ったが5月場所・7月場所と4場所連続で優勝した。04年11月場所からは大鵬の記録を破 る7場所連続優勝を果たした。05年には年間6場所完全優勝の新記録を樹立、まさに無 敵だった。しかし、07年には八百長疑惑が掲載され、その後不振に陥り、約6週間の休 養、加療宣言をした。その後仮病疑惑が持ち上がり謹慎処分を受けるなど世間を騒が せた。08年1月場所で復帰、白鳳に優勝決定戦で敗れるものの復活をアピール、3月場 所で優勝を果たした。しかしその後は極度の不振が続き11月場所には武蔵川理事長が 休場を勧告し、引退説も囁かれた。09年1月場所に見事に優勝し復活、現在に至る。テ レビCM『ファン太郎が行く』シリーズ」でイメージも大分よくなった?!

  • 旭富士

    4度優勝を果たした元横綱。柔軟な体から繰り出される技が持ち味。60年青森県生まれ。大島部屋所属。81年初土俵。すぐ翌年には初入幕を果たした。87年9月場所後に大関昇進。88年1月場所では、千秋楽で横綱千代の富士に勝利し初優勝を達成した。90年には2場所連続優勝を果たし横綱昇進を決めている。3度目の優勝を遂げた7月場所千秋楽の千代の富士との取組みは、相手の頭を押さえつけ掬い投げで制すという激闘を演じ、今でも語り草となっている。91年には4度目の優勝を遂げたものの、病気などが原因で徐々に勝ち星が減り、92年引退。現在は伊勢ヶ濱部屋の師匠をつとめている。

  • 東富士

    「怒濤の寄り」と形容された速攻相撲の実力者であり、独特の上手出し投げが武器であった第40代横綱。幕内優勝回数6回。21年東京都台東区・富士ヶ根部屋所属(後に高砂部屋に移籍)。36年に初土俵を踏み、43年初入幕。45年に大関に昇進し、48年5月場所で初優勝を飾った。この年に横綱昇進を決め、49年1月場所、50年の5月場所で優勝。51年の9月場所で4度目の優勝を果たした際には、相撲界初となるパレードを行った。その後52年、53年に優勝したが、引退。引退後は錦戸を襲名したが、一門間での争いにより相撲界を去った。その後はプロレスに転向した後、相撲解説者などとして活躍した。73年没。

  • 稲妻

  • 大木戸

  • 大乃国

    大きく突き出た腹と大柄の体格を生かした取り口で『腹相撲』と呼ばれた第62代横綱。角界きっての食通で、大の甘党としても知られている。最近はスイーツに関するバラエティ番組に出演する事もあり、「スイーツ親方」のニックネームで親しまれている。62年北海道出身。元花籠部屋所属。83年新入幕。同年 11月場所では3横綱を破り初の殊勲賞を受賞。84年にも3大関3横綱を破る活躍を見せ大関に昇進。87年5月場所では見事15戦全勝で初優勝を飾り、横綱昇進を果たした。その後不振が続いたが、88年11月場所の千秋楽では、同場所14日目まで53連勝中だった横綱千代の富士に怒涛の寄り倒しで土をつけ連勝記録を止め、歴史的な場面を演出した。その後は怪我や故障で休場が続き、89年には皆勤負け越しという不名誉をなめた。91年7月場所をもって引退、 28歳9 か月という若さだった。99年6月に芝田山部屋を新たに開き、親方として活躍している。またスポーツニュースやNHK大相撲中継の解説者としても注目されている。

  • 鏡里

    動く錦絵と呼ばれた土俵入りで人気を集めた、4度の優勝回数を持つ元横綱。時津風部屋所属。1923年青森県生まれ。右四つから自慢の太鼓腹を活かして相手の技を封じた上で、そこから寄り、上手投げにつなげる戦法を得意とした。41年初土俵、45年に新十両、47年に新入幕、51年に大関昇進。53年に初優勝を飾り、横綱となった。58年の引退後は立田川部屋を立ち上げ、88年に定年退職を迎えるまで後進の育成に当たった。2004年、80歳でこの世を去った。

  • 柏戸

    大鵬の影に隠れはしたが、柏鵬時代を築いた大横綱。同門が幕内に1人もおらず横綱以下役力士全員と戦わねばならないという不利もあり、優勝は5回。得意は速攻からの右おっつけでの一気寄り。38年山形県東田川郡(現鶴岡市)出身。伊勢ノ海部屋。54年初土俵。58年本名の富樫として初入幕。59年3月場所に柏戸を襲名。60年9月場所新大関、61年1月場所に初優勝を遂げた。9月場所に12勝3敗とし、優勝決定戦では大鵬に敗れたものの同時に横綱に昇進した。昇進後は怪我や病気で4場所連続で休場したが、復帰直後の63年9月場所では大鵬との千秋楽全勝決戦を制して2度目の優勝を遂げ、日本中を沸かせた。64年3月場所で再び大鵬と千秋楽全勝決戦を行い敗れたものの、柏鵬時代を印象付けた。その後は故障も多く成績は芳しくなかったが、大鵬には強く、晩年に病気で5連敗するまでの対戦成績は共に16勝であった。 69年7月場所で引退。引退後は伊勢ノ海部屋を継承せず年寄鏡山として独立、審判部長を12年間も勤めた。

  • 北の湖

    幕内優勝回数24回を誇り、史上最年少で横綱昇進を決め「北の怪童」の異名をとった戦後の大横綱の一人。朝青龍バッシングや時津風部屋の事件などの騒動が多い近年の相撲界で、日本相撲協会の理事長を務めたことでも注目を浴びた。53年、北海道生まれ。三保ヶ関部屋元所属。67年初土俵。72年に初入幕、73年に新小脇、関脇へと昇進。74年1月場所で初優勝を飾り大関に昇進すると、5月場所で2度目の優勝し、横綱昇進を決めた。75年に横綱となって初優勝を決め、78年に5場所連続優勝、80年に3場所連続優勝を果たした。北の湖はこの時代の相撲界を牽引し、81年1月場所の千代の富士との一戦は今に至るまで大相撲中継の最高記録である65.3%を記録している。85年に引退。引退後も、北の湖部屋を創設。また02年から6年間日本相撲協会の理事長を務めるなど相撲界へ大きな貢献をし続けている。

  • 北の富士

    「島ちゃん」「北さん」と呼びあう親友でライバルであった玉の海と共に「北玉時代」を築いた大横綱。幕内優勝は全勝3回を含む10回。得意手は左四つからの上手投げ、外掛け。42年北海道網走郡美幌町出身。出羽海部屋、後に九重部屋所属。中学校時代は軟式野球の投手で四番だった。57年初土俵。63年新十両、11月場所で史上3人目の全勝優勝を果たし、64年1月場所で新入幕を果たした。13勝2敗で新入幕力士最多勝の新記録を樹立、敢闘賞を受賞。3月場所には新小結、7月場所には新関脇となった。66年7月場所後大関に昇進した。 67年元横綱千代の山が独立した九重部屋に移り、その最初の場所である3月場所で別部屋になったためたい戦したかつての兄弟子佐田の山を倒して14勝1敗で初優勝を果たした。69年11月、70年1月場所と連続優勝し、場所後に玉乃島(昇進後「玉の海」に改名)とともに横綱に昇進した。70年、71年は玉の海と交互に優勝する「北玉時代」となったが71年10月の玉の海死去後は11月場所に発奮して優勝したのを除けばふがいない成績が続き、世代交代を許してしまった。その後は2度の優勝に終わり、74年7月場所に引退した。

  • 琴櫻

    32歳2ヶ月の最高齢で横綱に昇進した遅咲きの横綱。強烈なぶちかましとのど輪、怒濤のような突き押しを得意とし、「猛牛」と呼ばれた。得意手は右四つからの寄りと押し。40年鳥取県東伯郡(倉吉市)出身。佐渡ヶ嶽部屋。中学時代は柔道の有段者だった。59年初土俵。62年7月場所に十両に昇進し優勝、63年1月場所でも十両優勝を果たし3月場所に入幕した。67年9月場所後に大関となった。その後は68年7月場所と69年3月場所の2度優勝したが故障も多く、好不調の波が激しかった。しかし72年11月場所、73年1月場所では14勝1敗で連覇を果たし、横綱に昇進した。昇進後一度優勝するものの、高齢のため横綱在位わずか8場所で74年7月場所前に引退した。その後は佐渡ヶ嶽部屋を継承、琴風・琴欧州・琴光喜の3大関をはじめ22人の関取を育てた。

  • 佐田の山

    大鵬時代に幕内優勝6回を遂げた横綱。得意手は突っ張り、右四つからの寄りと上手投げ。 38年長崎県南松浦郡出身。出羽海部屋。56年初土俵。61年1月場所新入幕となり、5月場所に西前頭13枚目で初優勝を遂げた。しかし役力士とは小結一人としか対戦しておらず、これ以降優勝争いをする平幕力士は横綱、大関と対戦させるという現在の慣例が作られることとなった。62年3月場所に関脇で優勝、大関となった。65年1月場所には3度目の優勝をとげ、横綱に推挙された。5月場所に4度目の優勝を果たして以降2年間優勝がなかったが、67年11月場所、翌年1月場所と連覇を果たした。68年3月場所に3連敗後突然引退した。引退後は出羽海親方を継承、92年から理事長を6年務めた。

  • 大鵬

    優勝32回、6連覇2回、45連勝などの大記録を残した双葉山と並び称される昭和の大横綱。新入幕後引退するまで一度ずつの7勝と9勝を除き、全て二桁の勝ち星を挙げた。入幕した年に大関昇進を果たした力士は大鵬のみである。「巨人・大鵬・卵焼き」といわれるほど子供の人気は絶大。ウクライナ人と日本人のハーフで美男子としても有名で、女性の人気も高かった。身体の柔らかさと懐の深さが武器。左四つからの寄りと掬い投げを得意としたが、押し相撲や右四つでも相撲が取れるため「型がない」と当時は批判された。現在は相手によって取り口を変えられる柔軟性があったと評価されている。40年樺太(現サハリン)出身・北海道川上郡育ち。二所ノ関部屋。60年1月場所新入幕でいきなり12勝3敗の成績を挙げた。翌場所に負け越したが11月場所で初優勝し、場所後史上最年少の20歳6ヶ月で大関へと昇進した。61年7月場所、9月場所と連覇し、場所後に柏戸と共に横綱昇進を果たした。昇進後も2場所連続優勝、62年7月場所から63年5月場所にかけ最初の6連覇、66年3月場所から2度目の6連覇を成し遂げた。その後故障が続き引退かと思われたが、69年3月場所から45連勝を達成した。「北玉時代」になっても強さは変わらず、二人が横綱昇進後も共に大鵬が4勝2敗で勝ち越している。71年1月場所には本割りと決定戦の2番連続で玉の海を降し32回目の優勝をとげ、3月場所も12勝だったが、5月場所の尻から落ちた負け方をした二番を恥じ、引退した。

  • 隆の里

    筋骨隆々の体型で、怪力が自慢の第59代横綱。右四ツ両廻しを引き付けて吊り寄りで攻めるのが得意。52年青森県出身。二子山部屋所属。68年初土俵を踏むが、72年に糖尿病を患った。75年新入幕。81年、新横綱千代の富士との対戦では、強烈な上手投げ勝利を収めた。翌年大関に昇進。同年9月場所には全勝で初優勝を果たした。83年は千代の富士を倒して、新横綱で15戦全勝優勝。86年引退し、89年に二子山部屋から分家独立して鳴戸部屋を創設。また、NHKの料理番組「きょうの料理」の講師を務めたほか、2003年には著書『親方はちゃんこ番』を出版した。

  • 貴乃花

    兄の花田勝とともに若・貴兄弟として相撲界をにぎわせた第65代横綱。優勝22回は単独5位の記録であり、平成の大横綱と称されている。宮沢りえとの婚約、婚約解消は有名。細かい技を組み合わせた四つ相撲を得意とした。72年東京都出身。二子山部屋所属。88年、藤島部屋に入門し、同年初土俵。91年、19歳で当時の横綱千代の富士を破り、一気に注目を浴びた。92年には初優勝し、93年に大関昇進。94年、四股名を貴ノ花から貴乃花と改名して臨んだ千秋楽で横綱曙を下し、2場所連続全勝優勝。98年、新横綱として挑み、20回目の優勝を果たす。01年、大関武双山戦で右膝の半月板を損傷したが、千秋楽に強行出場。表彰式で小泉純一郎元首相が内閣総理大臣杯を直接手渡し、「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!おめでとう!」と祝福したのは記憶に新しい。03年引退。引退後は、父親の代から引き継いだ貴乃花部屋の親方になった。最近は夫婦でバラエティ番組に出演する機会が増えている。

  • 太刀山

  • 谷風

  • 玉の海

    71年惜しまれながら亡くなった悲運の大横綱。横綱10場所の130勝20敗、勝率8割6分7厘は双葉山に次ぐ第2位。他にも幕内連続勝ち越し27場所などの記録を持つ。肩幅が広く胴長で上手をとられなかった。柔道仕込みの足腰の強さが自慢で、突っ張りや右四つからの寄りや豪快な上手投げ、相撲史上最高といわれる吊り出しが得意だった。44年愛知県宝飯郡(現在の蒲郡市)出身。片男波部屋。59年玉乃嶋として初土俵。64年3月場所新入幕、翌場所玉乃島と改名した。栃ノ海、佐田の山から2つずつ金星を獲得した後、66年9月場所後大関に昇進した。68年5月場所で初優勝、69年9月場所に2度目の優勝を遂げた。70年1月場所で13勝を挙げ北の富士に優勝決定戦で敗れたものの、場所後2人揃って横綱となった。新横綱となった70年3月場所から玉の海と改名、7月場所の9勝6敗以外は毎場所優勝を争い、「北玉時代」を印象付けた。71年7月場所には全勝優勝を果たした。その前後に虫垂炎を患い早急な手術が必要だったが、9月場所に強行出場、10月に手術を受けたがその後様態が悪化し、10月11日に27歳の若さで亡くなった。

  • 千代の富士

    史上2位の通算31回の幕内優勝を誇り、史上最多の通算勝星1045勝をあげた昭和最後の大横綱。「ウルフ」の愛称で親しまれた。55年、北海道生まれ。1970年初土俵を踏む。75年9月場所で新入幕。80年小結、関脇へ昇進。81年の1月場所優勝決定戦では北の湖を下し、初優勝。この一番は瞬間最高視聴率65.3%で大相撲中継の最高記録を残した。大関へと昇進し、七月場所優勝。さらにこの年に横綱に昇進し優勝を飾った。その細身で精悍な顔立ちのルックスと、豪快な取り組みで、若い女性や幼い子供にまで知名度が高まり、アイドル的な人気を得た。とりわけこの81年は「ウルフフィーバー」の年とまでいわれている。その後82年には3連覇を達成し、86年から翌年にかけては5連覇成し遂げた。89年相撲界で初の国民栄誉賞受賞。90年に通算1,000勝達成したが、翌年35歳11か月で気力・体力の限界を表明し引退。翌年九重部屋を継承した。

  • 千代の山

    怪力の突っ張りを武器に活躍した第41代横綱。優勝回数6回を誇った。26年、北海道松前郡出身・出羽海部屋。42年に初土俵、45年に新入幕。その年の11月場所では全勝し、当時番付上位優勝制度のため優勝こそ逸したが大きな注目を浴びることとなった。49年には新大関で初優勝を飾り、翌場所も連覇。51年に3度目の優勝を決め、ようやく横綱となった。55年に2度の優勝、57年には全勝優勝を達成した。59年に引退して年寄九重を襲名。しかし出羽海後継が叶わず、67年に独立。高砂一門に入り九重部屋を創立した。北の富士を横綱に育て、千代の富士をスカウトするなど若手の育成に励んだ。77年没。

  • 常ノ花

  • 栃錦

    相撲界に戦後屈指の黄金時代「栃・若時代」を築いた第44代横綱。JR小岩駅構内に彼の銅像が立っていることでも有名。多彩な技と、押しや寄りで前に出る積極的な取り口が魅力。10回の優勝経験がある。殊勲賞1回、技能賞9回受賞した他、藍綬褒章も受賞した。25年東京都南葛飾郡出身・春日野部屋。39年初土俵を踏み、44年には十両昇進。47年入幕。52年に大関に昇進し、53年の若乃花との対決では、栃錦の水引が切れて髷がほどけるほどの大熱戦を繰り広げ、勝利を収めた。54年には3度目の優勝を果たし、57年に引退した。引退後は数多くの関取を育てたり、日本相撲協会理事長を務めるなど活躍したが、90年死去。

  • 栃ノ海

    柏鵬時代に佐田の山、豊山らと大相撲を盛り上げたいぶし銀のような横綱。小兵ながら前捌きが巧く、出し投げや切り返しなどの技の鋭さで横綱まで上り詰めた。38年青森県南津軽郡出身。春日野部屋所属。55年9月場所で本名の花田で初土俵。60年3月場所で新入幕。十両に陥落後9月場所に四股名を「栃ノ海」と改めて再入幕した。61年5月場所では朝潮から金星を挙げ、7月場所では小結に昇進し11勝、翌9月場所に関脇に昇進してからはその座を譲らなかった。62年5月場所では14勝1敗で初優勝を果たし、兄弟子・栃光と一緒に場所後、大関に昇進した。63年11月場所では大鵬と柏戸の両横綱を破り2度目の優勝を成し遂げ、翌1月場所13勝2敗を挙げて場所後横綱に昇進した。64年5月場所で3度目の優勝を果たしたがその後椎間板ヘルニアを発症、苦しい場所が続き66年11月場所中に28歳の若さで引退した。

  • 白鵬

    優勝回数11回を誇り、朝青龍との優勝争いが常に注目されるモンゴル出身の横綱。右四つ、寄り、左上手投げを得意とする。85年生まれ、宮城野部屋所属。 01年に初土俵を踏み、04年新入幕。この年白鵬は朝青龍を送り出しで破って初金星を獲得した。06年に新大関に。07年の3月場所では千秋楽の優勝決定戦で朝青龍を下し優勝、続く5月場所、全勝優勝を成し遂げ横綱に昇進した。9月場所では横綱になってからの初優勝を飾る。その後優勝し続けるも、08年の 3月場所では朝青龍に破れ、4連覇を惜しくも逃した。7月場所には千秋楽で、琴欧洲を降し横綱昇進後通算2度目の全勝を果たし7回目の優勝を掴んだ。連覇を重ねるが、09年1月にまたしても朝青龍の手によって4連覇を逃している。

  • 双羽黒(北尾)

    幕内優勝経験のない唯一の横綱。63年三重県出身。立浪部屋所属。84年新入幕。86年横綱に昇進し、双羽黒を名乗った。横綱昇進後は、3回優勝争いで千代の富士に敗れたものの、千代の富士はその素質と強さを認めるコメントを出した。87年、師匠の立浪親方とのいさかいから部屋を出奔し、そのまま廃業。その後、プロレスや総合格闘技に転向。98年PRIDE.4にて引退。そして03年には、日本相撲協会所属ではない立場ながら、代替わりした立浪部屋のアドバイザーに就任した。

  • 双葉山

  • 北勝海

    千代の富士の胸を借り激しい稽古を重ねたことで知られ、優勝回数8回を誇る元横綱。63年、北海道生まれ。九重部屋元所属。79年初土俵を踏む。83年に新入幕。86年3月場所で幕内初優勝、7月場所後に大関昇進を果たした。それまで保志という名で相撲をとってきたが、これを機に北勝海と命名された。87年、3月場所で二度目の優勝。翌5月場所後に横綱昇進が決定した。横綱になってからは6回の優勝を飾った。90年3月場所の千秋楽では、大関小錦、関脇霧島との3人での優勝決定巴戦となり、大熱戦を繰り広げ、見事北勝海が優勝を決めている。92年に引退。怪我引退後は年寄北勝海のち八角を襲名。八角部屋を立ち上げた。

  • 前田山

  • 三重ノ海

    故障に悩みながら本来の力を出し切れない時代が長かったにもかかわらず横綱となった強い意志を持つ力士。前捌きが非常にうまく、速攻をよしとした。左四つからの寄り、上手出し投げが得意手。48年三重県松阪市出身。出羽海部屋。63年初土俵。69年新入幕。70年7月場所に小結に昇進、横綱大鵬と玉の海を破り殊勲賞を受賞、9月場所で関脇に昇進した。 75年11月場所で初優勝、場所後大関に昇進した。76年5月場所に関脇に陥落したが、7月場所で大関に復帰した。79年7月場所後に横綱に昇進、11月。80年初場所に連続優勝を果たした。その後は怪我・病気に悩まされ11月場所に引退した。 引退後は年寄武蔵川を襲名し、横綱武蔵丸、武双山・出島・雅山の三大関を送り出した。08年から日本相撲協会理事長。

  • 武蔵丸

    当時、外国出身力士最多優勝回数12回を誇ったハワイ出身の元横綱。71年生まれ。武蔵川部屋元所属。89年初土俵を踏む。94年大関に昇進。7月場所で、千秋楽に貴ノ花を下し史上初の外国出身力士による15戦全勝で幕内初優勝。99年5月場所千秋楽で曙を寄り倒して5度目の優勝を決めたことで、ついに横綱昇進となった。同年9月場所、横綱となっての初優勝。翌11月場所で連覇を果たした。この年武蔵丸は自身初めての年間最多勝を受賞。この後も02年三月場所、五月場所を連覇するなど、横綱としての優勝回数を7回と積み重ねた。03年引退。年寄・武蔵丸の名で武蔵川部屋の部屋付き親方として5年間、後進の指導に当たった。

  • 吉葉山

    色白で均整の取れた体格と市川右太衛門に似た美貌で人気を集めた第43代横綱。猛突っ張りと喉輪押しから相手を組み止めて鋭く捻伏せる豪快な取り口が魅力。史上初の殊勲賞連続受賞力士。59年に銀座で相撲料理店「吉葉」を経営したことでも有名。20年北海道厚田郡出身・高島部屋。38年5月初土俵。幕下優勝を果たすも、十両昇進目前の42年に軍隊に応召された。46年に復員し、47年11月場所に入幕。50年大関昇進。54年には、全勝で悲願の初優勝を果たし、横綱昇進。1958年引退。引退後は、吉葉山相撲道場を設立したり、日本相撲協会理事として審判部長を務めた。77年腎不全のため死去。

  • 初代若乃花

    1場所で3個の金星を獲得したこともある実力の持ち主。第45代横綱。膝の弾力と怪力を生かした技は豪快で切れ味が鋭く、不得手の右四つにも平気で組みに行く大胆不敵な取り口が魅力。膝のバネは相当なもので「異能力士」とあだ名されたことも。殊勲賞と敢闘賞を2回、技能賞1回、紫綬褒章という受賞歴があり、10回の優勝経験がある。28年青森県弘前市出身・元二子山部屋。46年初土俵を踏み、各段優勝に近い成績で49年には十両昇進。50年新入幕。55年大関昇進。58年には、昭和生まれで最初の横綱となった。60年には初の全勝優勝を遂げるも、62年栃ノ海に敗退し引退。引退後は、弟子の指導にあたったり、春日野理事長や二子山理事長代行として相撲協会を引っ張った。

  • 二代目若乃花(若三杉)

    北の湖の陰に隠れてしまったが、歴代3位にあたる幕内28場所連続勝ち越しの成績をあげた名横綱。甘いマスクで人気だった。柔軟な足腰と鋭い投げ技で有名な幕内優勝を4回、殊勲賞2回、技能賞4回受賞している。二子山部屋所属。得意技は左四つからの上手投げ。53年青森県南津軽郡大鰐町出身。68年に初土俵を踏み、幕下時代から期待の星として注目されていた。73年に新入幕。その後病を患いながらも好成績を挙げ続け、77年大関に昇進。78年には2場所連続して優勝同点という成績を収め、横綱に昇進。四股名を「若三杉」から「若乃花」に改名した。明治神宮における新横綱奉納土俵入りで、兄弟子の貴ノ花が太刀持ちを務めたのは有名な話。昇進後もその実力と優しそうな雰囲気で人気を博すも、81年から体調不良による休場が続き、83年1月場所を最後に引退した。

  • 三代目若乃花(花田勝)

    弟・貴乃花とともに史上初の兄弟横綱として90年代の相撲界を盛り上げた名力士。「お兄ちゃん」の愛称で親しまれる。貴乃花との遺産相続をめぐる確執や、元ファッションモデル栗尾美恵子との結婚と離婚騒動など、スキャンダルでも話題になる事が多かった。71年生まれ。東京都出身、二子山部屋所属。88年初土俵。90年新入幕を果たす。93年に小結で初優勝を飾り、大関昇進を果たした。95年の11月場所では貴乃花と兄弟優勝決定戦を実現させ、見事優勝している。98年横綱昇進を決めた。昇進後は故障や怪我のために休場が多くなり、99年の9月場所では史上2人目となる横綱の皆勤負け越しを記録する不名誉をなめた。結局横綱として一度も優勝する事が出来ないまま00年に引退。

  • 輪島

    史上初の学士横綱で、幕内優勝14回を誇る大横綱。横綱昇進以前には貴乃花と、昇進後は北の湖と死闘を演じ、「輪湖時代」を築いた。左の下手投げを得意とし、「黄金の左」と評された。金色の廻しがトレードマーク。その後全日本プロレス所属のプロレスラーに転進した。48年石川県七尾市出身。花籠部屋所属。金沢高、日本大学と相撲部で活躍、大学では2年連続で学生横綱に就いた。70年1月場所に幕下付出で初土俵。幕下では2場所連続で全勝優勝し当時の最短記録で十両入り、十両も4場所で通過、初土俵からわずか1年で新入幕を果たした。72年9月場所千秋楽では貴ノ花との水入りの大相撲を制し、場所後に貴ノ花とともに大関に昇進した。73年5月場所に全勝優勝を成し遂げ場所後に横綱に推挙された。輪島時代の到来だったが、74年には3月場所に大関となった北の湖が台頭してくる。7月場所では北の湖を結びの一番、優勝決定戦と得意の左下手投げで降し、優勝したものの、場所後北の湖は横綱となり「輪湖時代」となった。76年・77年は12場所のうち輪島5回、北の湖5回と優勝を分け合った。78年に入ると右膝靭帯の怪我や体力の衰え等から北の湖の後塵を拝すようになったが、右四つ左上手の取り口に進境を示し、79年7月、80年11月と二度優勝している。81年3月場所中に引退し、花籠部屋を継承した。その後スキャンダルの中85年12月に廃業、86年に全日本プロレスに入門した。得意技はゴールデン・アームボンバーで、馬場とタッグを組み活躍した。88年に引退した。その後はタレントとして活躍した。

きらく辞典

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

横綱審議委員会

横綱審議委員会(よこづなしんぎいいんかい)は日本相撲協会理事長の諮問機関で、略して「横審(よこしん)」と呼ばれる。

横綱

thumb|250px|right|第35代横綱・[[双葉山定次]]

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