80年代男性タレント/バラエティー司会者
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愛川欽也
名台詞「おまっとさんでした。」と明るいキャラクターでおなじみの司会者。愛称はキンキン。1934年生まれ。71年から放送が始まったラジオ番組「パックインミュージック」のパーソナリティとして人気となり、「キンキン」の愛称が定着した。さらに74年から12年間にもわたり人気深夜番組「11PM」で司会を務め、司会者としての地位を確立。その後「きんきんケロンパ歌謡曲」(妻のうつみ宮土理と共演)や「なるほど!ザ・ワールド」を担当した。現在は「出没!アド街ック天国」などで司会を務めている。また、70~80年代には大ヒット映画「トラック野郎」に出演するなど俳優としても活躍した。
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明石家さんま
出っ歯といったらこの人。「クワーッァ」という引き笑いが特徴的な日本を代表するお笑い芸人。 大竹しのぶの元旦那で、通称「さんま」「さんちゃん」「お笑い怪獣」。 55年生まれのB型で、74年デビュー。所属はよしもとクリエイティブ・エージェンシー。 菅原文太のものまね、プロ野球・阪神タイガース投手の小林繁の形態模写などを使って笑いをとるスタイルでデビューし、 徐々に人気を高め、81年からの当時の代表的バラエティ番組『オレたちひょうきん族』で確固たる人気を獲得。 80年代後半からは『あっぱれさんま大先生』など多くの番組で司会を務め、 以後は『笑っていいとも!』のレギュラーや他の番組での司会業を中心に活躍。 関西弁でテンポの良いトークを得意としており、間髪入れぬツッコミやボケが持ち味で、多くの番組で活躍。 99年には「日本で最も露出の多いテレビスター」としてギネスブック世界記録認定されたほど。 以後も活躍の幅を広げ、現在も『さんまのSUPERからくりTV』『踊る!さんま御殿!!』『恋のから騒ぎ』などの番組で 毎日のようにテレビ出演している。
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生島ヒロシ
安定感のある喋りと、ラジオなどでしばしば垣間見ることが出来るおっちょこちょいな愛すべきキャラクターが魅力のアナウンサー。1975年にカリフォルニア州立大学を卒業後、TBSに入社。ラジオやテレビで司会を務めた。フリー転向後は『生島ヒロシのおいしいフライパン』(89~90年)や『アッコにおまかせ!』(86~92年)、『スーパーサッカー』(93~2000年)など情報・バラエティ系を中心に活動。
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逸見政孝
お堅いイメージだったアナウンサー像を壊し、ひょうきんなキャラクターで人気を博した名アナウンサー。ゴルフ番組内でのお笑いBIG3(タモリ・ビートたけし・明石家さんま)との絶妙なトークは今でも語り草となっている。68年早稲田大学卒業後、フジテレビに入社。「FNNニュースレポート6:30」など報道で活躍するとともに、「新春かくし芸大会」などでのユーモア満載の司会で人気となった。88年にフリーとなった後は「たけし・逸見の平成教育委員会」などバラエティ番組を担当したが、93年に48歳の若さで、癌により他界した。
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井上順
フジテレビ系「夜のヒットスタジオ」(1976年4月~1985年9月)
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大塚範一
1948年生まれ。早稲田大学卒業後、NHKに入社。「クイズ百点満点」(88年~94年)や数々のスポーツ実況を担当。その後フリーとなり、フジテレビを中心に活動。現在は高島彩アナと共に「めざましテレビ」のメインキャスターを務め、朝の顔として定着している。
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大橋巨泉
日本テレビ系「11PM」(月曜・1968年1月~1985年4月、金曜・1966年4月~1985年9月)、TBS系「クイズダービー」(1976 年1月 ~1990年3月)、TBS系「世界まるごとHOWマッチ」(1983年 ~1990年)
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小川宏
フジテレビ系『小川宏ショー』(1965年5月~1982年3月)、フジテレビ系「オールスター家族対抗歌合戦」(1984年7月~1986年9月)、フジテレビ系列「小川宏 のTOP情報」(日曜朝、1987年4月~1994年3月)
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片岡鶴太郎
日本テレビ系列「鶴ちゃんのプッツン5」(土曜、1986年10月~1992年9月)、フジテレビ系列『夕やけニャンニャン』(1985年4月~9月)、フジテレビ系列『上海紅鯨団が行く』(土曜夜、1986年10月~1987年9月)、テレビ東京系「ヤンヤン歌うスタジオ」(日曜、1986年 ~1987年)
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桂三枝
西川きよし、笑福亭仁鶴と並ぶ吉本三巨頭の一人。通称「三枝師匠」。30年以上も続いている長寿番組「新婚さんいらっしゃい!」のイスごとコケるギャグで、お茶の間を和ませてくれている。お笑いのイメージが強いが、本業は落語家で、上方落語協会会長を務める。落語家を志し67年に桂小文枝門下に入門、すぐに「ヤングおー!おー!」(69年~79年)、「新婚さんいらっしゃい!」(71年~現在)や「パンチDEデート」(73~85年)などの大ヒット番組の司会を務め、全国的な人気を獲得、ザ・ドリフターズ、コント55号などと共に70~80年代のお笑い界を牽引した。その後多数のクイズ番組やトーク番組で司会を担当する売れっ子となり、関西お笑い界のトップとして長く君臨している。現在は本業の寄席(創作落語)の仕事も多い。
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桂文珍
TBS系「クイズMr.ロンリー」(1982年4月~1987年3月)、読売テレビ「おもしろサンデー」(1982年5月~1992年3月)、テレビ東京系「クイズ地球まるかじり」(1984年4月~1994年9月)、日本テレビ系『スター爆笑Q&A』(1986年4月~1992年3月)
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加藤茶
「カトちゃん」の愛称で親しまれるコメディアン・俳優であり、ザ・ドリフターズの一員である。代表的なギャグは「加トちゃんペッ!」や平均視聴率30% 超、歴史に残る伝説のお笑い番組『8時だョ!全員集合』(フジテレビ)で人気となった「ちょっとだけよ、あんたも好きねえ〜」などがある。『8時だョ!全員集合』の後継番組「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」では志村けんととも絶妙なコント、掛け合いを見せた。さらに77年からアイドルやタレントらとコントを繰り広げる「ドリフ大爆笑」の放送がスタート。爆笑の「もしもシリーズ」でもカトちゃんのボケが炸裂した。2004 年、同期でドリフ入りしたいかりや長介が死去した際には、弔辞を担当。また最近では、それぞれの県や観光地ごとに自身がキャラクターモデルとなった「御当地加トちゃん」が発売され人気を集めている。
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上岡龍太郎
"知性で笑わせられる芸人"と呼ばれた元漫才師・司会者、現在は引退。1942年生まれ。ギャグや特異なパフォーマンスで笑いを取る従来の芸人スタイルとは一線を画し、毒舌を用いたツッコミでシュールな笑いを提供してきた。一方で、共演者の隅々にまでよく目が行き届き、『ラブアタック!(76-84年)』『上岡龍太郎にはダマされないぞ(90-96年)』など、名司会者としての一面もあった。このスタイルは島田紳助に踏襲されている。事実、島田は彼を"心の師"と仰ぐほどである。大のオカルト嫌いでも有名。
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川崎敬三
テレビ朝日系「アフタヌーンショー」(1974年3月~ 1985年10月)
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草野仁
穏やかな人柄とその笑顔が魅力の名アナウンサー。また、欠かさないウエイトトレーニングで還暦過ぎとは思えない筋肉を保ち、「リンゴを片手で握りつぶした」など数々の逸話を持つ。1967年東京大学卒業後、NHKに入社。局アナ時代は「ニュースセンター9時」スポーツコーナーやモントリオールオリンピックの実況中継などを担当。85年にフリーとなり、「朝のホットライン」や「ザ・ワイド」などのワイドショーなどで司会を担当し、安定感のある語りで人気を博す。現在は「世界・ふしぎ発見!」や「草野☆キッド」などで活躍。
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久米宏
TBS系列「ザ・ベストテン」木曜21:00 - 21:54(1978年1月~1985年4月)、「おしゃれ」平日13:15-13:30(1980年4月~1987年4月)
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小堺一機
金髪と笑顔がトレードマークの司会者・コメディアン。芸能界入りした直後、同じく新人の関根勤とコンビ「コサキン」を組み、「欽ちゃんのどこまでやるの!?」で共に人気を獲得し、冠番組「コサキン勝手にごっこ」(86~87年)を持つほどに。現在はトーク番組「ライオンのごきげんよう」で司会を務め、お昼の顔として親しまれいる。
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児玉清
「アタックチャンス」!で有名な1975年から続くクイズ番組「パネルクイズアタック25」で全国的に有名な司会者。その切れのある司会には定評がある。正解した解答者への「結構」、「そのとおり」が口癖。元々は黒澤映画にも出演した東宝の映画俳優だったが、70年代にテレビに移り、水前寺清子主演のテレビドラマ「ありがとう」(70~75年)で人気を確立、二枚目俳優としてホームドラマを中心に活躍した。現在でもドラマや映画で味のある役柄を演じている。
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堺正章
マルチタレントのパイオニア的存在であり、多芸多彩な司会者・俳優。愛称"マチャアキ"。ゲストメンバーの隅々まで話を振り場全体を盛り上げる仕事ぶりは名司会者の証である。デビュー当初は歌手であった。ムッシュかまやつらと組んだ「ザ・スパイダース」のメインボーカルを務め、解散後も『さらば恋人』『街の灯り』などヒットを飛ばし、紅白歌合戦に出場した事もある。一方で俳優としての顔も持ち、夏目雅子、岸部シローら蒼々たる顔ぶれと共演した『西遊記 (78-80)』シリーズは大人から子供まで幅広い支持を受けて大ヒットを記録、現在まで幾度と無くリメイクされた同作品の礎を築いた。また、麻雀、ビリヤード、車…"遊び"と呼ばれる事は一通り究める器用な人物であり、"Mr.かくし芸"とも謳われ、年末にお茶の間の度肝を抜くかくし芸を披露してくれる。最近では『発掘!あるある大事典』シリーズにおいて身近な謎を科学する切り口で大衆の知的好奇心を煽り、それをネタにした芸人が現れるほど社会現象にもなった。今は『世界一受けたい授業』『チューボーですよ!』の司会を担当。かつて"遊び人"と名を馳せた名タレントは、社会派バラエティの司会者として今も大衆に新しい文化を発信し続けている。
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坂本九
フジテレビ系「スター千一夜」(1979年 - 1981年)、日本テレビ系「スター誕生!」(1981年4月~1982年1月) フジテレビ系「スター千一夜」(1979年 - 1981年)日本テレビ「九ちゃん!」 世界一有名な日本の曲「上を向いて歩こう」(61年)を歌った“九ちゃん”。NHKの歌番組『夢であいましょう』の“今月の歌”として誕生したこの曲はアメリカでは「スキヤキ」というタイトルで発売され全米1位を記録、世界中で大ヒットとなった。41年神奈川県川崎市生まれ。エルビス・プレスリーに憧れて歌いはじめ、59年に「題名のない歌だけど」でビクターからデビュー。翌60年東芝に移籍、第1弾シングル「悲しき六十歳」が10万枚のヒットとなった。歌手としてはもちろん、『スター千一夜』、『スター誕生』等の人気テレビ番組の司会や、映画、舞台等でも活躍。71年女優の柏木由紀子と結婚、日航空機墜落事故(85年)に遭い43歳での若さで他界した。代表曲は同名ミュージカルの主題歌「見上げてごらん夜の星を」、缶コーヒー“GEORGIA”のCMソングとして00年にリバイバルヒットした「明日があるさ」、童謡としても親しまれる「幸せなら手をたたこう」等。
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ザ・ドリフターズ
TBS系『8時だョ!全員集合』(土曜、1969年10月~1985年9月)、フジテレビ系『ドリフ大爆笑』(火曜、1977年 - 1998年)
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志村けん
「しむけん」、「けんちゃん」などの愛称で親しまれる、日本を代表するコメディアンのひとり。ザ・ドリフターズの一員としてブレイク。ドリフが看板番組の『8時だョ!全員集合』で「カラス、なぜ鳴くの、カラスの勝手でしょ」や「怒っちゃヤーヨ!」などのギャグが生まれた。同番組終了後も、『志村けんの失礼しまぁーす!』、『志村けんのだいじょうぶだぁ』、『志村けんのバカ殿様』など多くの冠番組を持ち活躍。「変なおじさん」、「アイーン」など今もウケル芸が確立した。現在は『天才!志村どうぶつ園』の司会を担当。彼の活躍はすさまじく芸能界に大きな影響を与えた人物といえる。優香、ダチョウ倶楽部などとの共演が多く、それゆえに彼らは「志村ファミリー」とも言われる。
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杉本清
競馬実況中継
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関口宏
長寿番組「東京フレンドパーク」の司会者として有名。1966年立教大学卒業後、大映所属の俳優として活動を始め、ドラマなどに出演した。70年代からトーク番組「スター千一夜」や「クイズ100人に聞きました」、報道番組「サンデーモーニング」などの司会を務め、司会者としての地位を確立し、現在に至る。
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高島忠夫
日本テレビ系 昼 「ごちそうさま」(1971年1月~1998年3月)、フジテレビ系「クイズ・ドレミファドン!」(1976年10月〜1988年4月)、日本テレビ系「アメリカ横断ウルトラクイズ」(1977年~88年)
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高橋圭三
フジテレビ系 「新春かくし芸大会」(1965年~1985年)、TBS系「輝く!日本レコード大賞」(1969年~1983年)
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タモリ
1945年生まれのO型。田辺エージェンシー所属。「タモさん」の愛称で親しまれているお笑いタレント。日本を代表するコメディアンのひとりで、現在は司会業を中心に行っている。本名の森田一義を使って出演している「いいとも!」こと『笑っていいとも!』は1982年から通算放送6000回を超える長寿番組。「生放送単独司会世界最高記録」というギネス記録にもなっているほどで、日本に住んでいて知らない人はほとんどいないといっても過言ではない。ここでの活躍が一番目立ったものとなっているが、他にも『ミュージックステーション』『タモリ倶楽部』『タモリのボキャブラ天国』など様々な番組で活躍している。
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辻よしなり
熱いスポーツ実況で知られるアナウンサー。ヒャッホーと奇声をあげる、実況中に号泣するなど多くの逸話を持つ。1983年慶應義塾大学卒業後、テレビ朝日に入社。「ワールドプロレスリング」「大相撲ダイジェスト」などでの熱い実況で人気を得て、90年代を代表する実況アナウンサーとなった。2000年フリーになり、「やじうまプラス」「TVチャンピオン」「オジサンズ11」などの司会として活躍した。
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露木茂
フジテレビ系列「スターどっきり(秘)報告」(1986年~1988年)、フジテレビ系列「露木茂のTOP情報」(日曜朝、1986年4月~1987年3月)
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徳光和夫
「24時間テレビ」でおなじみのベテラン司会者。ユーモアあふれるナレーションと、時間内にきっちり収めるアナウンス力で、冠婚葬祭の司会も数多く務めている。またとても涙もろいことでも有名。愛称は「徳さん」。熱狂的な巨人ファンであることから「ジャイアンツおやじ」とも。1941年生まれ。立教大学卒業後、日本テレビに入社。1969年より「NTV紅白歌のベストテン」「ズームイン!!朝!」「NNNニュースプラス1」などの司会を数多く務め、確固たる人気を獲得。1989年にフリーとなった後は「徳光和夫の情報スピリッツ」「世界ウルルン滞在記」など数多くのバラエティ番組を中心に活躍した。現在は「THE・サンデー NEXT」などに出演している。
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所ジョージ
スタジオ内の空気を一瞬にしてリラックスさせてしまう、名"脱力系"司会者・ナレーター。通称"所さん"。好き勝手やっているように見える一方で、番組スタッフや共演者の扱いに長け、話を上手に聞き出すスタイルは名司会者の証である。『所さんの…』で始まる番組は現在もなお多く、お茶の間にゆったりとした笑いを呼び込む。また、番組の構成を大事にする一貫した価値観の持ち主である。「笑っていいとも!」レギュラーとして活躍していたが、番組制作サイドとの不一致で降板した例もある。自由奔放な発言も多く、周囲も困るケースもままある。シンガーソングライター出身であるが、楽曲はパロディである物が多い。また、俳優としては、黒澤明監督作品『まあだだよ(1993)』において日本アカデミー賞・ブルーリボン賞などの受賞が話題を呼んだ。現在は『1億人の大質問!?笑ってコラえて!』『所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!』などの司会を務める。お茶の間の誰にでも楽しめるバラエティが多く、それが彼の人気を高める所以である。
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土居まさる
日本テレビ系「TVジョッキー」(日曜、1971年1月~1982年12月)、日本テレビ系「ほんものは誰だ?!」(木曜、1973年2月~1980年9月)、TBS系「スーパーダイスQ」(昼、1980年3月~1984年3月)
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西川きよし
フジテレビ系「パンチDEデート」(1973年10月~1985年3月)
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萩本欽一
フジテレビ系「オールスター家族対抗歌合戦」(1972年10月~1986年9月)、テレビ朝日系『欽ちゃんのどこまでやるの!?』(水夜、1976年10月~1986年9月)、TBS系「欽ちゃんの週刊欽曜日」(1982年10月~1985年9月)
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ビートたけし
1947年生まれのO型。オフィス北野所属。本名である「北野武」でも知られる。1980年頃の漫才ブームでツービートとして知名度を飛躍的に伸ばし、毒舌ネタで人気を博した。「コマネチ!」の持ちネタはこの時期に生まれたものである。以後『オレたちひょうきん族』などのテレビ番組などに出演し、この頃からタモリ・さんまと共にBIG3と称されるほどの活躍をしていた。フライデー襲撃事件やバイク事故などのスキャンダルもあったが、その活躍は顕著。現在も『世界まる見え!テレビ特捜部』『ビートたけしのTVタックル』『奇跡体験!アンビリバボー』など様々なテレビ番組で司会を務め、活躍している。また映画監督としての活躍も顕著で、『その男、凶暴につき』『HANA-BI』『座頭市』『菊次郎の夏』などその評価は高い。『HANA-BI』は、第54回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞したほどである。
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福留功男
穏やかな笑顔と妥協を許さないプロ意識で知られる名司会者。愛称は「留さん」。1942年生まれ。明治大学卒業後、日本テレビに放送記者として入社し、 1970年にアナウンサーとなった。1977年「アメリカ横断ウルトラクイズ」の司会者として起用され、知名度を上げた。その後、徳光和夫との「徳さん留さん」コンビで有名の「ズームイン!!朝!」などを担当し、日本テレビを代表するアナウンサーとなった。1991年にフリーとなった後は、「ブロードキャスター」「いつみても波瀾万丈」などの長寿番組を担当した。
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古舘伊知郎
実況中継風の喋りと独特の語彙センスで知られる司会者。1954年生まれ。77年立教大学卒業後、テレビ朝日入社。入社当初から担当した「ワールドプロレスリング」の実況では「お~~っと!」「燃える闘魂」など独特の言い回しを多様し、ファンに知られる存在となった。その後89~94年にかけて独特のフレーズを多用したF1の実況を行い、話題となった。84年にフリーになった後は「NHK紅白歌合戦」(94年~96年)や「夜のヒットスタジオ」「おしゃれカンケイ」など人気番組の司会を務め、知名度を上げた。現在は「報道 STATION」を担当。前番組の「ニュースステーション」が久米宏司会の人気番組だったため、当初は古舘の起用を不安視されていたが、現在では見事に務め上げている。
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三波伸介
日本テレビ系「笑点」(1970年12月~1982年12月)、NHK「お笑いオンステージ」(てんぷく笑劇場と減点パパ)(1972年4月~1982年4月)、フジテレビ系列「スターどっきり(秘)報告」(1976年~1982年)
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みのもんた
世の中の出来事にズバっとメスを入れる、黒く日焼けした顔が特徴。フリーアナウンサー、タレント、司会者、歌手、実業家として幅広く活躍。看板番組「みのもんたの朝ズバッ!」では歯に衣着せぬコメントで問題に切り込んでいく。また、かつてブームを巻き起こした「クイズ$ミリオネア」では、回答者のみならずお茶の間までをも緊迫させる絶妙な司会を展開した。多忙な上に大の酒好きなため、睡眠時間が1日に2~3時間というのは有名な話。1967年に立教大学卒業後、文化放送に入社。当時大人気の深夜放送を担当した。文化放送を退社後は、実家の仕事と平行してテレビ番組のナレーション業などを続け、1989年に日本テレビの『午後は○○おもいッきりテレビ』の司会を務めた。この番組が高視聴率を取るようになり、一気に人気司会者の地位を築いたのである。
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八木治郎
テレビ朝日系『八木治郎ショー・いい朝8時』(1980年10月~1983年4月)
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山川静夫
NHK「ウルトラアイ」(1978年5月~1986年3月)、NHK紅白歌合戦白組司会(1974~1982)
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山口崇
テレビ朝日系「クイズタイムショック」(木曜 、1978年10月~1986年3月)
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山城新伍
テレビ朝日系列「笑アップ歌謡大作戦」(1978年10月~1982年9月)、フジテレビ系列「アイ・アイゲーム」(1979年10月~1985年9月)、TBS系列『クイズ天国と地獄』(1982年10月4日~1985年9月)、TBS系列「新伍のお待ちどおさま」(平日昼、1985年11月~1990年3月)
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横山ノック
関西テレビ系「ノックは無用!」(土曜、1975年1月~1997年9月)、テレビ朝日系「ラブアタック!」(1975年11月~1984年10月)
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横山やすし・西川きよし
日本テレビ系「歌まね振りまねスターに挑戦!!」(金、1973年4月~1986年3月)、フジテレビ系「相性診断!あなたと私はピッタンコ」(1976年4月~1981年3月)、日本テレビ系「スター誕生!」(1982年1月~1983年9月)、テレビ朝日系『プロポーズ大作戦』(1973年4月~1985年3月)、日本テレビ系『スター爆笑Q&A』(1982年3月~1988年1月)
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吉田照美
フジテレビ系『夕やけニャンニャン』月(1985年9月~1987年8月)水(1985年9月~1987年8月、但し(1986.4~9)の期間は木)、TBS系『ぴったし カン・カン』火曜日19:30~20:00(1985年10月~1986年3月)
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渡辺徹
山田邦子、上沼恵美子などあくの強い女性司会者をたてる術に長けていると評判の司会者。1961年生まれ。文学座の研究所に入った直後、人気テレビドラマ「太陽にほえろ!」のラガー刑事役に抜擢され、丹精な顔立ちでアイドルとして人気を博した。その後は俳優だけでなく特に司会として脚光を浴び、「いきなり!フライデーナイト」「料理天国」「邦子と徹のあんたが主役」など多くの番組を担当した。現在はバラエティタレントとして活躍。妻はタレントの榊原郁恵。




