60年代以前プロレス選手
ジン・キニスキー、キラー・コワルスキー、力道山、ルー・テーズ、フリッツ・フォン・エリックなど42人のレスラーの情報を探すことが出来ます。
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アントニオ猪木
ご存知「燃える闘魂」。力道山、ジャイアント馬場と並び、プロレスを全国区の人気スポーツに押し上げた功績は計り知れない。 多くのアントンファンを持ち、「いくぞー! 1! 2! 3! ダーッ!」、「元気ですかーっ!」、「いつ何時、誰の挑戦でも受ける」などの名セリフや「闘魂注入ビンタ」は現在でも通用している。必殺技はコブラツイスト、卍固め、延髄斬り、ジャーマン・スープレックス・ホールドなど。43年神奈川県横浜市鶴見区出身。13歳の時にブラジルへ渡りサンパウロ市近郊の農場で育つ。60年力道山のサンパウロ興業の際にスカウトされ帰国し、日本プロレスに入団した。同年大木金太郎とデビュー戦を行い、敗戦。力道山の死後64年に2年間のアメリカへ武者修行へ赴き、帰国後豊登の東京プロレスを経て日本プロレスに戻った。馬場に次ぐ待遇を受け馬場とのパートナーでインターナショナル・タッグ王座を獲得した。馬場のテレビ放映を日本テレビが独占したため、NET(現テレビ朝日)のプロレス中継のエースとしてUNヘビー級王座を獲得した。ドリー・ファンク・ジュニアのNWA世界ヘビー級王座に挑戦、名勝負として伝説となった。71年に日本プロレスから追放処分を受け、72年新日本プロレスを旗揚げした。まずプロレスの神様で師匠のカール・ゴッチと対戦、勝利し、世界ヘビー級王座を獲得した。 73年にはジョニー・パワーズと対戦、NWF世界ヘビー級王座獲得した。NWF王座をかけて74年には元国際プロレスのストロング小林や大木金太郎との日本人対決を行い勝利、ビル・ロビンソンと引き分け、猪木伝説が形成された。76年には「プロレスこそ全ての格闘技の頂点である」というストロングスタイルを標榜、異種格闘技戦を開始、ミュンヘンオリンピック柔道男子無差別級と重量級金メダリストのウィレム・ルスカと対戦、バックドロップ3連発で勝利した。ボクシングヘビー級チャンピオンのモハメド・アリとも対戦、引き分けたがアリとの勝負は世界中で放映され、猪木の名を世界が知るようになった。79年にはボブ・バックランド戦に勝利し、日本人として初めてWWFヘビー級王座を獲得した。70年代は他にもタイガー・ジェット・シン、スタン・ハンセンなどと名勝負を繰り広げ、猪木人気は頂点に達していた。しかし83年に世界統一タイトルを目指しIWGPを立ち上げ、決勝戦でハルク・ホーガンのアックス・ボンバーによりリング外に転落、脳震盪を起こし失神KO負けとなってしまう。その後は無敵ではなくなり、85年のIWGPタッグリーグ戦で坂口征二と組み、藤波辰巳、木村健吾組と対戦、敗北。87年にはビッグバン・ベイダー、88年にはに敗れ、長州力に敗れた。最終的には98年にリングを後にした。
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上田馬之助
日本プロレス界で初の本格悪役(ヒール)。 竹刀を振り回すなど得意の凶器攻撃でリングを盛り上げた。頭髪をまだら、後に全て金髪に染め「まだら狼」、「金狼」などと呼ばれた。名作プロレス漫画『1・2の三四郎 』の桜五郎は恐らく上田がモデルと思われる。得意技は、コブラクロー、クロスチョップ。正統派時代はダブル・リストロック。40年愛知県一宮市出身。58年大相撲の追手風部屋に入門、60年力士を廃業し日本プロレスに入門した。 61年プロデビュー。66年に渡米、「プロフェッサー・イトー」のリングネームで悪役レスラーとして活躍した。70年に帰国。71年に猪木、72年に馬場が日本プロレスを離脱、73年彼らが抜けた中大木金太郎とのタッグでインタータッグ王座を獲得したが、日本プロレスが崩壊してしまった。再び渡米、76年帰国、国際プロレスに参戦した。この頃から「まだら狼」へと変身、竹刀を振り回し、ヒールに徹するようになった。ラッシャー木村と金網デスマッチで死闘を演じ、IWA世界ヘビー級王座を獲得した。77年には新日本プロレスへ参戦、タイガー・ジェット・シンと組み、北米タッグ王座を獲得した。78年には猪木と釘板デスマッチを行ったり、ヒロ・マツダ、マサ斉藤らと「狼軍団」を結成、活躍した。マサ斉藤と国際へも再び参戦した。80年代にもシンと共に全日に参戦したり、新日軍団の一人としてUWF軍と戦ったりして活躍した。
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大木金太郎
石頭で知られた韓国人レスラー。得意技は「原爆頭突き」。国際時代は「X固め」。29年韓国全羅南道出身。59年日本プロレスに入門し、デビュー。63年に渡米、ミスター・モトと組んでWWA世界タッグ王座を獲得した。63年力道山が死去、居場所がなくなり韓国へ帰国、「大韓プロレス」のエースとして韓国プロレス界の発展に尽力した。67年にはマーク・ルーインを破り、WWA世界ヘビー級王座を獲得した。その後日本プロレスへ戻り、72年にボボ・ブラジルを破りインター王座を獲得した。日本プロレス崩壊後は新日本プロレスに参戦、74年には猪木との伝説となった名勝負を、坂口とは遺恨からのセメントマッチを展開した。75年以降は再び全日本、80年代は国際で戦った。06年逝去。
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カール・ゴッチ(Karl Gotch)
日本ではプロレスの「神様」と称される名レスラー。海外では「無冠の帝王」の異名を取る。得意技はジャーマン・スープレックス。24年ドイツ・ハンブルク出身とベルギー出身の2説あり。50年にプロレスデビュー、60年にアメリカへ進出、61年にNWAイースタンステーツヘビー級王座を獲得した。この頃からカール・ゴッチのリングネームを名乗った。63年から64年にルー・テーズのNWA世界ヘビー級王座に9回挑戦したが、全て引き分けに終わった。68年に日本へ移住し、日本プロレスのコーチに就任、「ゴッチ教室」を開き、猪木に卍固め、ジャーマン・スープレックスを伝授した。72年には新日本プロレス設立に助力、72年から74年にかけて猪木と対戦し、3勝2敗の戦績を収めている。その後フロリダ州タンパの「ゴッチ道場」で藤波、木戸修、藤原喜明、佐山聡、前田日明らを育成した。07年逝去。
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木村政彦
全日本選手権を13年連続保持し不敗のままプロに転向した史上最強の柔道家。「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」とうたわれる。 グレイシー柔術の祖、エリオ・グレイシーを破ったことでも有名。得意技は独自の腕がらみをはじめ、大外刈り、一本背負など。17年熊本県出身。37年から全日本柔道選士権大会3連覇以来13年間無敗のまま、50年にプロに転向。興行は不振が続き、肺の病に侵された妻の治療費のためプロレスに転向する。51年には山口利夫、加藤幸夫とともブラジルに赴く。ブラジリアン柔術のエリオ・グレイシーに加藤が締め落とされたが、木村がエリオと戦い大外刈から腕がらみで2ラウンドで勝利した。その後帰国しプロレスラーとして力道山とタッグを組み、54年にはシャープ兄弟と対戦し、プロレスの人気を不動のものとした。同年力道山と対戦、失神負けを喫し、プロレスの人気がさらに高まることとなった。61年には再び柔道家として拓殖大学柔道部監督に就任た。93年死去。
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キラー・コワルスキー(Killer Kowalski)
ニー・ドロップでユーコン・エリックの左耳をそぎ落とした事件で有名な大ヒール。この事件以来"キラー、殺人鬼"と呼ばれた。2メートル近い長身で、正統派のレスリング技から反則技までこなす高いテクニックを誇った。得意技はフライング・ニー・ドロップ、ストマック・クローなど。26年カナダ・オンタリオ州出身。47年デビュー。52年にモントリオール派のAWA世界へビー級王座を獲得、62年まで8回獲得した。63年初来日。日本プロレスでは3度の来日で力道山、馬場、猪木と対戦した。全日本プロレスにも2回参戦している。08年逝去。
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クラッシャー・リソワスキー(Crusher Lisowski)
ディック・ザ・ブルーザーとのコンビでで活躍したプロレスラー。得意技はパンチとフルネルソン。26年米国出身。50年デビュー。63年には帝王バーン・ガニアからAWA世界ヘビー級(オハマ版)、(ミネアポリス版)を奪取した。 AWA世界タッグにもディック・ザ・ブルーザーとのコンビで4回、他のタッグとあわせ計8回就いた。67年に初来日、馬場との名勝負を繰り広げた。69年にはディック・ザ・ブルーザと来日、馬場・猪木を破りインター・タッグを奪取した。 89年WWFで引退。 05年死去した。
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グレート草津
元ラグビーの名選手で、パワー、スピード、テクニックを備えた国際プロレスの中心レスラー。42年熊本市出身。熊本工業高校、八幡製鐵所でラグビー選手として活躍。日本代表にも選出された。得意技は足4の字固め、コブラツイスト、ブレーンバスターなど。65年日本プロレスに入団。66年デビュー後、国際プロレスの旗揚げに参加する。 68年TBSによるテレビ放送初回でルー・テーズに失神KOされ、草津のみならず国際も苦境に立たされた。その後はIWA世界タッグ王座を獲得・長く保持、英国西部級および南部ヘビー級王座なども獲得した。79年に山本小鉄と星野勘太郎組に敗れIWA世界タッグ王座を失った。81年引退、08年逝去。
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グレート・東郷
米国のリングで終戦直後の反日感情を利用して悪役(ヒール)として活躍した日系アメリカ人レスラー。日本のリングでは頭突きや空手チョップなどの技を使い正統派として戦った。11年米国オレゴン州出身。当初は東條英機の苗字にあやかり「グレート・トージョー」と名乗った。観客から暴行を受ける事件が相次ぎ、グレート・東郷に改名した。62年のフレッド・ブラッシーとの一戦ではブラッシーの噛み付きで血ダルマとなり、それをテレビで見た老人数名がショック死し、社会問題となった。その後日本プロレスのアメリカにおける窓口としてプロモーターとして活躍した。73年死去。
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坂口征二
猪木と共に設立当初の新日本を牽引した柔道出身のプロレスラー。次男は俳優の坂口憲二。得意技はアトミックドロップ、ネック・ハンギング・ツリー、各種のバックブリーカーなど。42年福岡県久留米市出身。65年全日本柔道選手権で優勝。67年日本プロレスに入団。すぐにアメリカに遠征し、「ビッグサカ」として活躍、カール・ゴッチと引き分けた。帰国後ジャイアント馬場、アントニオ猪木に次ぐスターとなった。猪木、馬場離脱後は日本プロレスのエースとなった。73年新日本プロレスに入団、NET(現テレビ朝日)がテレビ放送を開始、猪木と並ぶスターとなった。74年には猪木と組んで、北米タッグ王座を獲得。79年にはジョニー・パワーズを破り北米ヘビー級王座を獲得、念願のシングル王者となった。85年にはIWGP王座決定トーナメントで藤波に敗れ、二番手の座を譲り渡した。 90年引退。89年には新日本プロレスの社長となり、猪木時代の借金を完済するなど大きな功績を残した。05年にスポーツ・ジム「坂口道場」を設立した。
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サンダー杉山
アマレスのエースとしてオリンピック代表にもなった正統派レスラー。肥満型の体型でありながらドロップキックも器用にこなすテクニシャン。ビル・ロビンソンも好敵手として認めている。必殺技は雷電ドロップ。1940年新潟県糸魚川市出身。ローマオリンピック最終予選で優勝、東京オリンピックにも出場した。65年に日本プロレスに入団した。66年デビュー。同年国際プロレスに移籍した。ビル・ロビンソンを破ってIWA世界ヘビー級王座を獲得するなどエースとして活躍した。68年にはルー・テーズのTWWA世界ヘビー級王座に挑戦し、敗れたものの一本を取っている。72年には全日本プロレスに移籍、76年にフリーとなった。その後は『おはよう!こどもショー』に出演するなどタレントとしても活躍した。02年逝去。
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ザ・シーク(The Sheik)
火炎殺法や蛇を使ったりなどのパフォーマンスで人気を誇った「アラビアの怪人」。得意技は「キャメルクラッチ」。24年ミシガン州出身。名門ミシガン大学でもアメフトのスター選手として活躍した。47年プロレスデビュー。ドリー・ファンク・シニアと戦った。64年からは「デトロイトの帝王」としてプロモーターとしても手腕を発揮した。72年日本プロレスに初来日、坂口征二からUNル選手権を奪取した(翌日奪還される)。73年全日本プロレスに参戦、馬場の PWF世界ヘビー級選手権に挑戦した。77年~79年の全日本の「世界オープンタッグ選手権」にはブッチャーとの「地上最凶悪コンビ」で参加、ザ・ファンクスを凶器攻撃で血まみれにし、観客を騒然とさせた。80年以降も来日したが年齢による衰えは隠しようもなかった。
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ザ・デストロイヤー(The Destroyer)
「白覆面の魔王」として力道山、ジャイアント馬場らと熱戦を繰り広げた人気覆面レスラー。必殺技の「足4の字固め」で日本中を熱狂させた。後年は和田アキ子、せんだみつお司会のバラエティー番組『金曜10時!うわさのチャンネル!!』にレギュラー出演するなど、コメディアンとしても活躍した。31年米国・ニューヨーク出身。大学時代からアメリカンフットボールやアマチュアレスリングで活躍。62年に覆面レスラーに転向。WWA世界ヘビー級王座を獲得、通算3度チャンピオンとなった。 63年に初来日し力道山と対戦、その後も馬場の好敵手として活躍した。72年からは全日の一員としてアブドーラ・ザ・ブッチャー、ミル・マスカラスなどと名勝負を残した。日本ではベビーフェイスだが米国ではヒールとして活躍、68年には黒覆面の「ドクターX」を名乗りバーン・ガニアを倒しAWA世界チャンピオンとなった。
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ジャイアント馬場
力道山、アントニオ猪木と並びプロレス人気を決定付けた立役者。必殺技は16文キック、32文ロケット砲、脳天唐竹割り、空手チョップ、ランニングネックブリーカードロップなど。38年新潟県三条市出身。55年に読売ジャイアンツに投手として入団、長嶋と仲がよかった。60年日本プロレスに入団、渡米し「フランケンシュタイン・ババ」、「ビッグ・ババ」、「ババ・ザ・ジャイアント」として活躍した。64年にはルー・テーズ、ブルーノ・サンマルチノ)、フレッド・ブラッシーという世界三大王者に挑戦した。 力道山の死去で日本に戻り日本プロレスのエースとして活躍した。65年にディック・ザ・ブルーザーに勝利、インターナショナル・ヘビー級王座を獲得した。 72年には日本テレビの後押しで全日本プロレスを旗揚げ。73年にはボボ・ブラジルを破りPWF世界ヘビー級王者に、74年にはジャック・ブリスコを破り、世界で最も権威があったNWA世界ヘビー級王座を獲得した。この頃が馬場の絶頂期で、鶴田と共に全日本を牽引した。79年、80年にもハーリー・レイスを破ってNWA王者となった。 85年にスタン・ハンセンに敗北し、PWFヘビー級王座から転落、タイトル戦線から退いた。99年死去。
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ジャック・ブリスコ(Jack Brisco)
NWA世界ヘビー級王者だった名レスラー。日本では「南部の麒麟児」とよばれた。得意技は「足4の字固め」、「バックドロップ」。41年オクラホマ州出身。アマレスのNCAA全米学生選手権のチャンピオンで戦績は89戦87勝2敗を誇った。65年プロレスデビュー。67年に日本プロレスに初来日、71年にはアントニオ猪木のUNヘビー級王座に挑戦した。73年ハーリー・レイスを破りNWA世界ヘビー級王者となった。74年馬場に敗れて王座を転落したが1 週間後に奪回。75年テリー・ファンクに敗れて王者を転落した。79年には新日本プロレスに登場、猪木に敗戦した。81年には再び全日本への参戦した。 84年引退。
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ジョニー・バレンタイン(Johnny Valentine)
肘と拳による打撃と絞め技で戦ったタフガイ・レスラー。得意技は「フライングエルボードロップ」。29年ワシントン州レキシントン出身。46年デビュー。バディ・ロジャースの好敵手と言われるなど、歴代のNWA世界ヘビー級王者に挑戦し続けた。日本では「金髪の妖鬼」と呼ばれ、66年東京プロレスの旗揚げでは猪木と伝説の名勝負を繰り広げた。73年には馬場、猪木が抜けた後の日本プロレスに参戦し、坂口からUNヘビー級王座とインターナショナル・タッグ王座を奪い存在感を示した。 74年移動中の飛行機事故で再起不能となり引退した。
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ジョージ・ゴーディエンコ(George Gordienko)
「最強」といわれたレスラー。必殺技はブロックバスター。 日本では『岩石男』と呼ばれた。28年カナダ・マニトバ出身。47年にアメリカでデビュー、その後カナダに戻る。53年、NWA世界王者ルー・テーズと互角の勝負を繰り広げた。68年国際プロレスに参戦、ビル・ロビンソンと対戦、白熱した攻防を展開した。72年にも再来日。76年引退。
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ジン・キニスキー(Gene Kiniski)
「荒法師」と呼ばれた名レスラー。元NWAチャンピオン。得意技は「キチンシンク」、「ジャイアント・スイング」など。 25年カナダ出身。大学時代はアメリカンフットボール選手。52年にプロレスデビュー。61年にAWA世界ヘビー級王座、65年にはWWA世界ヘビー級王座を獲得した。66年にはルー・テーズを破りNWA世界ヘビー級王座となり、69年まで王座を防衛した。日本では64年に初来日、馬場と好ファイトを演じ、以後馬場の好敵手として度々対戦した。67年のNWA王者としての馬場との対戦は名勝負として名高い。
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ストロング小林
国際プロレスのエースとして活躍したパワー・ファイター。得意技は「カナディアン・バックブリーカー」。40年東京都青梅市出身。ボディビルダー出身で、 67年覆面レスラー第1号である「覆面太郎」としてデビュー、14勝1引き分けという強さを誇った。68年素顔でデビュー、海外修行へでかけ、69年には豊登と組んでIWA世界タッグ王座を獲得した。71年にはIWA世界ヘビー級王者となり、25回防衛、2年6ヶ月王者として君臨した。国際プロレスのエースとして活躍していたが74年、新日本プロレスに参戦、猪木と敗れはしたが歴史に残る名勝負を演じた。その後坂口とタッグを組み、76年には北米タッグ王座を獲得した。79年には坂口のパートナーの地位を長州力に奪われたが、80年には永源遙とのタッグでIWA世界タッグ王座に返り咲いた。84年引退。以降はタレントとして、「痛快なりゆき番組 風雲!たけし城」などで活躍した。
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テリー・ファンク(Terry Funk)
「テキサスブロンコ」の異名を持つ名レスラー。兄のドリー・ファンク・ジュニアと名タッグ「ザ・ファンクス」を組み、日本でもベビー・フェイスとして大活躍した。 人気漫画『キン肉マン』のテリーマンはテリー・ファンクがモデル。必殺技は「スピニング・トーホールド」。44年テキサス州出身。プロレスラーのドリー・ファンク・シニアの次男。65年デビュー。75年にジャック・ブリスコを破ってNWA世界ヘビー級王者となった。77年にハーリー・レイスに敗れて王座を陥落した。日本では70年に初来日、71年には「ザ・ファンクス」として馬場・猪木組を破りインター・タッグ王座を獲得した。72年の全日の旗揚げシリーズに参加以降全日の常連として大活躍した。77年の世界オープンタッグ選手権ではアブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・シーク組を退けて優勝、79年と82年にも優勝した。 凶器攻撃を繰り返すブッチャー、ザ・シーク組に対し、血みどろになりながら「テキサス魂」で勝負を挑む「ザ・ファンクス」に日本中が声援を送った。
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ディック・マードック(Dick Murdoch)
「狂犬」と呼ばれたアメリカ人レスラー。主にタッグで活躍した。得意技は「垂直落下式ブレーンバスター」、「カーフ・ブランディング」など。46年テキサス州出身。65年「ファンク道場」に入門、プロレスデビュー。68年初来日。同年ダスティ・ローデスと「テキサス・アウトローズ」を結成し、活躍した。 71年には猪木のUNヘビー級王座に挑戦した。 73年からは全日本の常連となり、80年には鶴田を破りUNヘビー級王座を獲得した。81年に新日本プロレスに移籍、主にタッグでスタン・ハンセン、アドリアン・アドニスらと組み、日本組と激戦を展開した。アメリカでは84年にアドニスとのタッグでWWF世界タッグ王座を獲得した。96年逝去。
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ディック・ザ・ブルーザー(Dick The Bruiser)
「生傷男」の異名をとった名ヒール。ニューヨークのマディソン・スクウェア・ガーデンで場外乱闘中に観客や警察官を殴り倒し負傷させ、出入り禁止になったという逸話の持ち主。必殺技は殴る・ける、凶器で首を絞める、床板を振り下ろす、アトミックボムズ・アウェイなど。29年米国インディアナ州インディアナポリス出身。アメフトの名選手で7つの大学からオファーがあったが全て喧嘩により放校処分となった。51年NFLグリーンベイ・パッカーズに入団後、55年にプロレス転向した。57年にUSヘビー級王座、63年にはクラッシャー・リソワスキーと組んでAWA世界タッグ王座を獲得した。64年には地元シカゴでWWAを設立、フレッド・ブラッシーを破りWWA世界王座を獲得した。65年に初来日、反則負けを喫したものの、馬場を電話コードで巻きつけたり、チョーク攻撃で圧倒した。66年にはAWA世界王座を奪取、またリソワスキーと組んでWWA世界タッグ王座を獲得した。69年にはリソワスキーと来日、馬場と猪木のBI砲からインターナショナル・タッグ王座を奪取している。85年に引退した。
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豊登
元力士で力動山亡き後の日本プロレスを牽引したレスラー。筋骨隆々で、両腕を交差させ、脇の下を叩き「パコン、パコン」と音を鳴らすパフォーマンスで有名だった。得意技は逆エビ固めとさばおり。31年3福岡県田川郡出身。45年立浪部屋に入門、54年新入幕。3場所勤め廃業、同年大相撲の先輩力道山をたより日本プロレスに入団、デビュー。力道山のタッグパートナーとして海外遠征、60年アジアタッグ王者となった。力道山の死後64年にザ・デストロイヤーを破りWWA世界ヘビー級王座を獲得。 64年と65年に春のワールドリーグを連覇した。 66年には猪木と共に東京プロレスを旗揚げしたが、3ヶ月で潰してしまった。その後国際プロレスに入団、69年にストロング小林とIWA世界タッグ王座を奪取した。 72年には猪木が立ち上げた新日本プロレス旗揚げ戦に参加した。73年引退、98年死去。
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ドリー・ファンク・ジュニア(Dory Funk Jr)
弟テリー・ファンクとタッグチーム「ザ・ファンクス」を組み、日本でも大人気だったレスラー。本国でも実力世界一とうたわれ、NWA世界ヘビー級チャンピオンとして長く君臨した。得意技は「スピニング・トーホールド」、「ダブルアーム・スープレックス」など。41年インディアナ州インディアナポリス出身。 63年デビュー。69年ジン・キニスキーを破り、NWA世界ヘビー級王者となった。73年ファンク道場で修業を積んだハーリー・レイスに敗れるまで4年 3ヶ月にわたり王座を守った。世界王者として69年に初来日、70年にも再度来日、猪木・馬場と熱戦を演じた。弟テリーとの「ザ・ファンクス」としても 71年に参戦、馬場、猪木組からインターナショナル・タッグ王座を奪取した。馬場との関係が深く、その後は全日本プロレスの常連として、ブッチャー、ビル・ロビンソン、ブルーザー・ブロディなどと名勝負を残した。ただし80年代に力が衰えてからも出場していたため、日本では実力世界一というイメージは薄い。77年には世界オープンタッグ選手権に弟テリーと組んで優勝、79年・82年の世界最強タッグ決定リーグ戦でも優勝している。
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ドリー・ファンク・シニア(Dory Funk, Sr)
ドリー・ファンク・ジュニア、テリー・ファンクの父として有名なレスラー。得意技は息子たちに伝授したスピニング・トーホールド。19年インディアナ州出身。戦後にプロレスデビュー、テキサス州アマリロを本拠地に活躍した。58年にNWA世界ジュニア・ヘビー級王座を獲得している。69年ドリー・ファンク・ジュニアのマネージャーとして来日した。72年死去。
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ハーリー・レイス(Harley Race)
「ミスター・プロレス」と呼ばれた名レスラー。通算8回NWA王座についた。得意技は「ダイビングヘッドバット」、「インディアン・デスロック」など。43年ミズーリ州セントルイス出身。ドリー・ファンク・シニアに師事し64年にプロレスデビュー。65年ラリー・ヘニングと組んでAWA世界タッグ王座を獲得。68年初来日、72年に坂口征二のUNヘビー級王座に挑戦した。73年にはドリー・ファンク・ジュニアを破りNWA世界ヘビー級王座を獲得した。同年全日本プロレスに参戦し、以降常連となり馬場、鶴田、ブッチャー、ミル・マスカラス、ディック・マードック等と戦いを繰り広げた。全日年末恒例の世界最強タッグ決定リーグ戦にも4回出場し、84年には数度のAWA王者ニック・ボックウィンクルと「夢の帝王コンビ」を実現させた。 86年からWWF(現在のWWE)に移籍、"キング"ハーリー・レイスとして活躍、89年にはハルク・ホーガンに敗れキングの称号を手放したが、変わらぬ強さを誇っていた。
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バーン・ガニア(Verne Gagne)
AWAの帝王と呼ばれた名レスラー。得意技はスリーパーホールドとドロップキック。23年ミネソタ州出身。アマレス出身で、大学時代にNCAAのアマレス王座を二度獲得、48年にはオリンピック代表に選ばれた。フットボール選手としても評価され、NFLのグリーンベイ・パッカーズに一時所属した。49年に鳴り物入りでプロレスデビュー、51年にNWA世界ジュニアヘビー級王座を獲得した。60年にはAWAを創設、以降AWA世界ヘビー級王座を通算10回獲得した。70年国際プロレスに初来日、AWA世界王者として2度のストロング小林の挑戦を退けた。76年には全日本プロレスに登場。81年にはジャイアント馬場3000試合連続出場突破記念試合に出場、同年度のプロレス大賞のベストバウトを受賞した。
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パット・オコーナー(Pat OConner)
「魔術師」と呼ばれたテクニシャン。得意技は「スカイロケット」(ドロップキック)と「オコーナー・ロールアップ」(後方回転エビ固め)。27年ニュージーランドウェリントン出身。50年アメリカでプロレスデビュー。59年ディック・ハットンを破りNWA世界ヘビー級王者となり、61年にバディ・ロジャースに破れるまで君臨した。63年初来日し力道山のインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦した。馬場と親交が深く全日本プロレスに旗揚げ時から何度も来日、86年の横綱輪島がプロレス入りした際には彼のトレーニングを引き受けている。90年死去。
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ビル・ロビンソン(Bill Robinson)
「人間風車」、「ヨーロッパの帝王」と呼ばれ日本でも人気のあった技巧派レスラー。得意技は「ダブルアーム・スープレックス」、「ワンハンドバックブリーカー」など。38年イギリス・マンチェスター出身。54年「蛇の穴」と呼ばれたビリー・ライレージムに入門、63年プロレスデビュー、同年英国ライトヘビー級王座についた。65年にはヨーロッパ・ヘビー級王座、67年には大英帝国ヘビー級王座を獲得した。68年国際プロレスに来日、初代IWA世界ヘビー級王者に認定された。以降70年優勝、71年にはカール・ゴッチとの名勝負で日本中を沸かせた。70年以降アメリカでも活躍した。75年には新日本プロレスに登場、猪木と名勝負を繰り広げた。76年以降は全日本プロレスに移ったが往年の強さは見られなかった。85年引退。
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フランク・ゴッチ
近代プロレスリング創成期を代表する選手で、初代世界ヘビー級王者。得意技はトゥホールド。1878年アイオワ州生まれ。99年プロレスデビュー。04年トム・ジェンキンスを破りアメリカン・ヘビー級王座を獲得。06年にかけてジェンキンスと王座を巡り勝ったり、負けたりを繰り返した。06年にはフレッド・ビールに一時王座を奪われるがすぐに取り返した。08年にはヨーロッパ版の統一世界ヘビー級王者のジョージ・ハッケンシュミットとの対戦、2万人を超える観客を集め、2時間の激動の末勝利した。11年にも勝利し王座を防衛している。10年以降は引退と復帰を繰り返した。
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フリッツ・フォン・エリック(Fritz Von Erich)
アイアンクローの元祖で、「鉄の爪」と呼ばれた名レスラー。200kgを超えると言われた握力で顔面、または胃袋を握りつけるアイアンクローで人気を博した。29年テキサス州出身。54年プロレスデビュー。 63年バーン・ガニアを破りAWA世界ヘビー級王座を獲得した。66年に初来日、以降馬場とインター王座のベルトをめぐり6回も好勝負を繰り広げた。全日本プロレスにも3度来日し、馬場のPWF王座に2度挑戦している。97年逝去。
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フレッド・ブラッシー(Fred Blassie)
噛みつき攻撃で日本中を騒然とさせた「銀髪鬼」。18年ミズーリ州セントルイス出身。得意技は「ネックブリーカー」、「噛みつき」。35年プロレスデビュー。フレッド・マクダニエルとしてNWAジュニアヘビー級王座を獲得するなど、正統派レスラーとしてならした。59年に髪を銀色に染め、噛みつき攻撃を得意技とするヒールに転向した。61年初代WWA認定世界ヘビー級チャンピオンとなるが、力道山にタイトルを奪われた。62年初来日、ブラッシーの噛みつき口撃で血まみれとなったグレート・東郷の姿をテレビで見てアメリカの老人がショック死した事件も起こった。同年アメリカで力道山からタイトルを奪回、馬場の挑戦も2度退けた。日本プロレスには通算5度来日した。72年には全日本プロレス、74年には新日本に参戦し馬場や猪木と対戦した。後年はハルク・ホーガンやスタン・ハンセンを売り出すマネージャーを務めた。
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ブルーノ・サンマルチノ(Bruno Sammartino)
「人間発電所」とうたわらえた名レスラー。WWWFヘビー級王座に長期にわたり君臨し、「MSGの帝王」とも呼ばれた。必殺技は「ベアハッグ」、「カナディアンバックブリーカ」。35年イタリア出身、その後ペンシルベニア州ピッツバーグに移住。59年プロレスデビュー。63年バディ・ロジャースを48秒で破り、WWWF世界ヘビー級王者となった。71年まで王者として君臨した。67年初来日し、馬場のインターナショナル・ヘビー級王座に連続挑戦した。日本プロレスには通算3度来日した。馬場との関係が深く、全日本プロレスには通算5度来日した。73年スタン・スタージャックを破りWWWFヘビー級王者に返り咲き、75年には自らのWWWF王座もかけて、馬場のPWFヘビー級王座に挑戦した。77年スーパースター・ビリー・グラハムに敗れてWWWF王座を陥落。81年引退。
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星野勘太郎
すばやい動きでメキシコマットでも活躍した猪木を敬愛するジュニア・ヘビー級レスラー。得意技はマシンガンパンチ。43年兵庫県神戸市出身。高校時代はボクシング選手として活躍、61年日本プロレス入門。67年アメリカで山本小鉄とタッグチーム「ヤマハ・ブラザーズ」を結成、NWA世界タッグを獲得した。メキシコに転戦後日本に戻り第1回NWAタッグリーグ戦で猪木と組んで優勝した。74年から新日本プロレスに参戦し、山本とのタッグを復活させて活躍した。「突貫小僧」として、UWF軍団との抗争にも奮戦した。95年引退。
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ボボ・ブラジル(Bobo Brazil)
「黒い魔神」と呼ばれた、大木金太郎と並ぶヘッドバットの名手。得意技はジャンプする頭突きの「ココバット」、「ドロップキック」など。24年ミシガン州出身。51年プロレスデビュー。 57年初来日、力道山と激闘を繰り広げた。66年にはバディ・キラー・オースチンを破り、WWA世界王座を獲得した。68年には6度の防衛を誇ってい馬場のインターナショナル・ヘビー級王座を奪取した。直後に奪還されるが、72年に空位となっていた同王座を「頭突き世界一決定戦」と呼ばれた大木金太郎との戦いに勝利し、再度獲得した。
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マサ斎藤
アメリカで最も成功した日本人プロレスラー。日本代表として東京オリンピックに出場した元アマレスの星。得意技は「バックドロップ」、「監獄固め」。 42年東京中野区出身。65年日本プロレスに入門。66年東京プロレスに参加、崩壊後渡米した。西海岸で長くトップヒールとして活躍した。72年に日本プロレスに参加、74年からは新日本プロレスで日本側として参戦した。78年ヒロ・マツダ、上田馬之助らと狼軍団を結成、日本でもヒールに転向、ヒロ・マツダと組み坂口征二・ストロング小林組から北米タッグ王座を奪取した。その後は外人組や、長州力が結成した革命軍、維新軍の参謀格として活躍した。85年からアメリカで1年半の刑務所暮らしをし、監獄固めを開発、87年にはアントニオ猪木と無制限・ノーレフリー・ノールール・無観客マッチの「巌流島の戦い」を行った。90年には47歳でラリー・ズビスコを破りAWA世界ヘビー級王座を獲得した。引退後は「ワールドプロレスリング」の解説者を務めた。
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ミスター珍
日の丸に神風と書かれた鉢巻を締め、くちひげを生やし、下駄を凶器として使用する悪役レスラー。32年兵庫県宝塚市出身。木村政彦、山口利夫らが立ち上げた国際プロ柔道協会(プロ柔道)に参加した。54年山口と行動を共にし全日本プロレス協会に参加、崩壊後、55年日本プロレスへ入団した。64年に引退するまでコミカルな前座レスラーとして活躍した。テレビタレントとして活躍していたが、66年に復帰、71年に引退した。その後国際プロレスで復帰、アメリカでも活躍した。
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山本小鉄
「鬼軍曹」と呼ばれ新日本プロレスで若手の指導に活躍したレスラー。得意技はダイビング・ボディプレス。41年神奈川県横浜市出身。63年日本プロレスに入門、デビュー。67年星野勘太郎とともにアメリカ遠征に出かけ、「ヤマハブラザーズ」というタッグチームを組み活躍した。69年のワールドリーグ戦でゴリラ・モンスーンと対戦、勝利した。72年猪木と新日本プロレス旗揚げを実現、現場責任者・コーチとして活躍した。 74年に星野とのヤマハ・ブラサーズを復活、79年には国際プロレスに乗り込み、グレート草津・マイティ井上組を破ってIWA世界タッグ王座を獲得した。80年の引退後は、鬼コーチとして、また解説者・レフェリーとして活躍した。
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吉村道明
日本のプロレスの黎明期を支えたレスラー。血まみれになりながらも大柄の外人レスラーに向かっていく熱いファイトで「火の玉小僧」と呼ばれた。日本プロレス屈指の技巧派で、カール・ゴッチから2フォール勝ちを奪った唯一の日本人。 得意技は「回転エビ固め」。26年岐阜市出身。49年学生横綱となる。54年全日本プロレス協会に入団、57年日本ジュニアヘビー級王座を獲得、同年日本プロレスへ移籍した。力動山に次ぐ選手として活躍、デビューしたての猪木寛至に19連勝している。61年にヘビー級へ転向し、力動山とタッグを組んだ。力動山死後も馬場、猪木、大木金太郎らのタッグ・パートナーとして活躍、馬場、猪木の離脱後73年3月に引退した。
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ラッシャー木村
全盛期は金網デスマッチで鳴らし「金網の鬼」、後年は馬場を挑発するマイクパフォーマンスが人気で「マイクの鬼」と呼ばれた国際プロレスのスター。黒タイツがトレードマーク。得意技は「ブルドッキング・ヘッドロック」、「ラッシングラリアット」など。58年大相撲宮城野部屋入門、64年相撲を廃業し日本プロレスに入門した。66年東京プロレスに参加、崩壊後は国際に移籍。69年リングネームを「ラッシャー木村」に変更、70年には日本初の金網デスマッチを行い勝利、以降連勝し「金網の鬼」と呼ばれる。75年マッドドッグ・バションを破りIWA世界ヘビー級王座を獲得、以降エースとして活躍、バションやキラー・トーア・カマタと熱戦を繰り広げた。79年にはニック・ボックウィンクルとAWA王座、IWA王座をかけてのダブルタイトルマッチで対戦、反則勝ちした。81年国際プロレス解散後はアニマル浜口、寺西勇と共に新日本プロレスに参戦、猪木と熱戦を演じた。84年全日本に参戦、国際の残党と「国際血盟軍」を結成、試合後に馬場を挑発するマイクパフォーマンスが人気となった。馬場の死後の内紛後にはプロレスリング・ノアに立ち上げメンバーとして参加した。
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力道山
日本のプロレス界の礎を築いた日本プロレス界の父。得意技は空手チョップ。24年朝鮮半島出身、長崎県育ち。40年二所ノ関部屋に入門、初土俵。46年入幕、47年6月場所に優勝決定戦に出場するなど活躍49年に関脇となった。50年9月場所前に突然廃業、51年日系レスラー・ハロルド坂田と銀座で喧嘩、認められ、52年にハワイでプロレスの特訓を受けた。その後米国を転戦、大活躍する。53年日本プロレス協会を設立、シャープ兄弟をはじめとする外人レスラーを空手チョップでなぎ倒す姿に敗戦の負い目にあった国民が熱狂。一躍ヒーローとなった。54年には日本ヘビー級王座の決定戦で柔道王者の木村政彦に勝利し人気を決定付けた(八百長との疑いあり)。58年にはルー・テーズを破りインターナショナル・ヘビー級王座を、62年にはフレッド・ブラッシーを破りWWA世界ヘビー級王座を獲得した。 63年ザ・デストロイヤーとのWWA世界選手権戦は平均視聴率が64%を記録するなど人気絶頂の中、12月赤坂のキャバレー「ニューラテンクォーター」で暴力団組員といざこざになり刺され、その傷がもとで死去した。
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ルー・テーズ(Lou Thesz)
「鉄人」の異名をとり、最強とうたわれたレスラー。得意技は「バックドロップ」、「フライング・ボディシザース・ドロップ」など。16年ミシガン州バナット生まれ。33年プロレスデビュー。39年エベレット・マーシャルを破り、NWA世界ヘビー級王者となった。戦後は47年に3度目の王者となり、王者転落後48年に4度目の王者となった。以降55年にレオ・ノメリーニに反則で敗れるまで、引き分けをはさんで936連勝を達成した。57年には初来日、力道山と2度にわたり名勝負を繰り広げた。58年にはインターナショナルヘビー級初代王者に認定されたが、力道山に王座を奪われる。64年には馬場の挑戦を退けNWAタイトルを守った。66年には来日しジャイアント馬場のインターナショナルヘビー級王座に挑戦したが、馬場に敗れてしまった。68年に国際プロレスで来日した際も桁違いの強さを示した。グレート草津との対戦では、バックドロップで草津を失神させた。サンダー杉山にもバックドロップで、豊登はパイルドライバーで止めをさした。73年には57歳で新日本プロレスに初登場、カール・ゴッチと組んでアントニオ猪木・坂口征二と「世界最強タッグ戦」を戦った。







