70年代ソウル/R&B/ディスコ男性アーティスト
カーティス・メイフィールド、スティーヴィー・ワンダー、マーヴィン・ゲイ、ダニー・ハサウェイなど17人のアーティストの情報を探すことが出来ます。
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アル・グリーン(Al Green)
ファルセット・ボイスとセクシーな溜め息のような歌声が魅力のソウル・シンガー。46年アーカンソー州出身。ゴスペル出身で子供の頃からザ・グリーン・ブラザーズで歌っていた。69年、70年代をソウルをリードしたハイ・レコードウィリー・ミッチェルと出会う。70年の2作目『Al Green Gets Next to You』が4枚のゴールド・シングルを出す大ヒットとなった。72年「レッツ・ステイ・トゥゲザー」でブレイクした。74年には後年トーキング・ヘッズによりカバーされた「テイク・ミー・トゥー・ザ・リバー」がヒットした。この年、付き合っていた女性がグリーンに熱い料理をを浴びせ重度のやけどを負わした後自殺する事件が起きた。この事件を深く受け止め76年に牧師に転身した。R&Bの歌手活動は続けていたが79年に公演中に負傷、この事件を啓示と受け止めゴスペル・シンガーに転向した。80年代はゴスペル歌手として活動を続けたが88年に再びR&Bに戻った。
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ヴァン・マッコイ(Van McCoy)
ディスコ・ブームが沸き起こるきっかけとなった「ハッスル」のヒットで有名なアメリカの音楽プロデューサー兼作曲家。、1940年生まれ。1975年にインストゥルメンタルのディスコ・アルバム『ディスコ・ベイビー』を発表、収録曲「ハッスル」は全世界で売上1000万枚の空前のヒットとなった。79年死去。
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カーティス・メイフィールド(Curtis Mayfield)
マーヴィン・ゲイ、ダニー・ハサウェイら共に70年代の「ニュー・ソウル」を代表するアーティスト。貧困、麻薬、公民権運動など社会性の高いメッセージ・ソングを多く発表した。42年シカゴで生まれ。58年にジェリー・バトラーらとインプレッションズを結成、デビュー・シングル「フォー・ユア・プレシャス・ラヴ」が大ヒットし、一躍人気となった。ヴォーカルのバトラーが脱退後低迷したがカーティスが中心となり復活、61年に「ジプシー・ウーマン」がヒットした。その後次々とヒットを連発、特に65年の「ピープル・ゲット・レディ」は後年多くのミュージシャンにカバーされた。70年にファンク色が強いアルバム『カーティス』でソロに転身。72年には映画のサントラで名作『スーパー・フライ』を、73年にはヴェトナム戦争に反対し平和を訴えた名盤「バック・トゥー・ザ・ワールド」を発表した。80年代にはディスコブームで低迷90年にはコンサート会場での照明機器の落下事故で下敷きとなり、下半身不随となってしまった。96年に『ニュー・ワールド・オーダー』で復活を果たした。
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ジェームス・ブラウン(James Brown)
「ファンクの帝王」、「JB」と呼ばれ多くのミュージシャンに影響を与えてきた大物ミュージシャン。影響を受けたアーティストはマイルズ・デイヴィス、ローリング・ストーンズ、ヤードバーズからマイケル・ジャクソンやプリンスまで多岐にわたる。代表曲は日本では「ゲロッパ! 」でお馴染みの「Get Up (I Feel Like Being A) Sex Machine」など。56年にジェイムズ・ブラウンとフェイマス・フレイムズとして「プリーズ・プリーズ・プリーズ Please, Please, Please」がヒット、注目を集める。その後60年代を通じて「Try Me 」(R&B 1位)、「Lost Someone」 (R&B 2位)、「Papa's Got a Brand New Bag」(R&B 1位)、「I Got You (I Feel Good)」(R&B 1位)、「It's a Man's Man's Man's World 」(R&B 1位)、「Give It Up Or Turnit A Loose」(R&B 1位)、「Mother Popcorn」(R&B 1位)など多くのヒットを生んだ。 70年代にはブーツィー・コリンズ(b)を中心としたThe J.B.'sとしてファンク路線を突っ走り、ブレイクする。60年代を超える多くのナンバー1ヒットを放った。しかし、80年代にはディスコ・ブームが訪れ低迷期に入ってしまった。その後は大御所として活動を続けていたが06年逝去。
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ジャッキー・ウィルソン(Jackie Wilson)
サム・クックのライバルとして知られる洗練された味わいが持ち味のR&B歌手。サム・クックのような美声とボクサー出身のJBのような華麗なダンスで人気を博した。デトロイト出身。57年デビュー。58年の「ロンリー・ティアドロップス」がR&Bチャート1位となり、スターダムに。67年には後年多くのアーティストにカバーされる「ハイアー・アンド・ハイアー」もポップ・チャートで6位の大ヒットとなった。75年心臓発作で急死した。
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ジョージ・デューク(George Duke)
フュージョン・ピアニスト。ファンキーな音が持ち味で、ディスコ・サウンドに傾倒、日本でも人気となった。RTFの名ベーシスト、スタンリー・クラークとのClarke/Duke Projec(特に81年の1作目)も大成功をおさめた。82年の「shine on」はディスコで大ヒットとなり、アルバム『Dream On』は代表作となった。79年の『A Brazilian Love Affair』は、ミルトン・ナシメントにアイアート・モレイラとフローラ・プリムが参加したブラジリアン・テイスト溢れる名盤。
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スティーヴィー・ワンダー(Stevie Wonder)
全世界で愛されている盲目のミュージシャン。その歌声、曲作りの才能、どちらをとっても天才と呼ぶのにふさわしい。50年生まれ。12歳で「フィンガーティップス」が全米1位となる華々しいデビューを飾る。60年代はモータウンテイストの強い作品を発表。中でも「マイ・シェリー・アモール」、「太陽のあたる場所」は名曲。70年代には独自の音楽性を確立、72年には名曲「You Are the Sunshine of My Life」、「迷信(Superstition)」を収録した名作『トーキング・ブック』を発表した。"Higher Ground"を含む『インナーヴィジョンズ』(73)も名盤だった。74年の『ファースト・フィナーレ』では初の全米1位を獲得。そして76年の『キー・オブ・ライフ』は14週全米1位という大記録を打ち立てた。代表曲の"As"、"Isn't She Lovely"や"Another Star"などが収録されている。80年代になっても『Hotter Than July』(80)、名曲「心の愛(I Just Called to Say I Love You)」収録の『ウーマン・イン・レッド』(84)、ポール・マッカートニーとのデュエット 「エボニー・アンド・アイボリー」などで活躍したが、70年代の黄金時代の高い音楽性は失われてしまった。
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スモーキー・ロビンソン(Smokey Robinson)
ザ・シュープリームスやザ・テンプテーションズ、フォー・トップスらと共にモータウンの最盛期を彩ったザ・ミラクルズ。55年デトロイトで結成。ザ・ファイヴ・チャイムズ、その後マタドールズと改名を重ねてザ・ミラクルズとなる。リーダー、リード・ヴォーカリスト、作曲家であったスモーキー・ロビンソンは、高校生の頃から特に作曲の才を社長ベリー・ゴーディに認められるも、その初期は書き直しの連続であったという。ザ・ミラクルズとして発表した三作目「ショップ・アラウンド」(60)が全米で大ヒット。以後、六十年代に、「The Tracks of My Tears」「You've Really Got a Hold on Me」「Going to a Go-Go」といった、あまたのヒットを放ちモータウン・サウンドを全国区、そして地球規模のものにする原動力となった。67年以降、スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズと名乗る。その後も「I Second That Emotion」「涙のクラウン (The Tears of a Clown)」などをヒットさせた。六十年代の彼等を語るにあたっては、ソングライター、プロデューサーとしてのスモーキーの功績を忘れる訳には行かない。これらのヒット曲と同時期に、メリー・ウェルズ「マイ・ガイ」、ザ・テンプテーションズ「ザ・ウェイ・ユー・ドゥー・ザ・シングズ・ユー・ドゥー」、「ゲット・レディー」、そして何と言っても「マイ・ガール」を書いているのだ。初期モータウンのヒット曲の大半は彼の作品だったといっても過言ではないだろう。彼のソングライティング・センスは各方面から絶賛され、ボブ・ディランをして「二十世紀最高の詩人」と言わしめたエピソードはあまりにも有名。そして全く独自のソフトな唱法とテクニック。リフレインで同じ所が来てもメロディやタイミングが微妙に変わっていく技術には脱帽だ。その後、スモーキーは脱退してソロとなるが、残されたメンバーは名前をザ・ミラクルズに戻して後釜にビリー・グリフィンを迎え、それまでのワンマン体制からよりコーラスに比重を置いたスタイルにシフト。76年には「Love Machine」の大ヒットを放ってディスコ期も生き抜いた。なお、グリフィンは78年に脱退している。83年のモータウン二十五周年TV特別番組に際してスモーキーが復帰、その番組を最後に解散する。その十年後、モータウンがザ・ミラクルズの三十五周年を祝おうとした際に再結成が実現(スモーキーもグリフィンも不参加)、現在は、全盛期のメンバー二名(ボビー・ロジャーズ、クローデッド・ロビンソン)を含む編成でライヴ活動を続けているという。
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ダニー・ハサウェイ(Donny Hathaway)
人種差別や貧困などを歌った「ニュー・ソウル」の代表的アーティスト。「サムデイ・ウィール・オール・ビー・フリー」、"Ghetto"、"The Slam"などで黒人の思いのたけを歌った。また大学でクラシックを学び、白人にも受け入れられる洗練された音が特徴。ジョン・レノンの「ジェラス・ガイ」、レオン・ラッセルの「ア・ソング・フォー・ユー」など白人のポップ・ソングを多く取り上げた。ヒット曲という観点ではロバータ・フラックとのデュオで"You've Lost That Lovin' Feelin'" (71年)、"Where Is The Love"(72年)(全米5位)、"The Closer I Get To You"(78年)(全米2位)など多くのヒットを出した。アルバムでは72年の最高傑作『ダニー・ハサウェイ・ライブ』、全米3位となった『Roberta Flack & Donny Hathaway』が名盤。 79年に33歳でニューヨークのホテルから飛び降り、自殺。
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バリー・ホワイト(Barry Eugene White)
「愛のテーマ」で有名なバリー・ホワイト編成のオーケストラ。バリーはセクシーなバリトン・ヴォイスの語りとロマンチックな曲調が魅力でアメリカでは女性に大人気で、5回グラミー賞を獲得している。日本でも人気だったテレビドラマ「アリー my Love」でアリーの同僚のジョン・ケイジがトイレで踊りだすシーンでも「マイ・エヴリシング(You're The First, The Last, My Everything)」が使用されている。72年に女性コーラスグループ「ラヴ・アンリミテッド」をフィーチャーした"I Belong To You" がR&Bチャート1位となり注目される。73年にはソロで佳作『愛の影』収録の "I'm Gonna Love You Just A Little More Baby"がR&Bチャート1位となる。そして「愛のテーマ」が全米1位となり、ブレイクした。「愛のテーマ」収録の『ラプソディ・イン・ホワイト』(74)や、やはり全米ナンバー1となった「マイ・エヴリシング(You're The First, The Last, My Everything)」と表題曲を収録した『あふれる愛を(Can't Get Enough of Your Love, Babe" )』(74)は名盤。その後も「愛の炎( What Am I Gonna Do With You)」(75)、「エクスタシー (It's Ecstasy When You Lay Down Next to Me)」 (77)などのヒットを放った。82年を最後に活動が低調になったが94年に復帰、04年逝去。
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ビリー・プレストン(Billy Preston)
「5番目のビートルズ」と呼ばれ、アルバム『レット・イット・ビー』、『アビイ・ロード』のレコーディングに参加したキーボード奏者・歌手。46年テキサス州ヒューストン出身。62年にはリトル・リチャード、 サム・クック、 キング・カーティスのバックバンドのメンバーとして活躍。65年からレイ・チャールズのバック・バンドに参加。69年にはビートルズのアップル・レコード社の屋上で行った伝説のライヴ「ルーフトップ・コンサート」の「ゲット・バック」でエレクトリックピアノを演奏した。同年にはクラプトンやキース・リチャーズも参加したアルバム『神の掟』を発表、71年にはインストゥルメンタルの名曲である表題曲を収録したアルバム『アウタ・スペース』が全米2位となり、74年には代表曲「ナッシング・フロム・ナッシング」もヒットした。その後はストーンズのアルバムやツアーにに参加した。
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ビリー・ポール(Billy Paul)
多くのアーティストがカバーした不倫ソング「ミー・アンド・ミセス・ジョーンズ」で有名なフィリー・ソウルを代表する歌手。34年ペンシルバニア州フィラデルフィア出身。70年『エボニー・ウーマンでデビュー。72年「ミー・アンド・ミセス・ジョーンズ」が全米1位となる大ヒット、一躍スターとなった。
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マイケル・ジャクソン(Michael Jackson)
キング・オブ・ポップと呼ばれるプレスリーやザ・ビートルズと並ぶ20世紀最高のエンタテイナー。25曲以上のナンバーワン・ヒットを誇る。「スリラー」のPVに見られる様にMTVを最大限に利用したミュージシャンだった。また「ムーンウォーク」を開発するなどダンサーとしても後発のミュージシャンに与えた影響は計り知れない。58年生まれ。67年ジャクソン5のボーカルとしてデビュー、69年モータウンと契約、「帰ってほしいの(I want you back)」、「ABC」、「小さな経験)」、「I'll Be There」を全米1位となる快挙を達成した。79年ソロとしてクインシー・ジョーンズのプロデゥースで『オフ・ザ・ウォール』を発表、「今夜はドントストップ」、「Rock With You」が全米1位となった。他の2曲もトップとという当時ではありえない快挙となり、アルバムも2000万枚の大ヒットとなった。そして82年にはギネスブックで「1億400万枚の世界最高枚数の売り上げ」と記録される『スリラー』を発表、7曲がシングル・カットされ全てトップ10となり、「ビリー・ジーン」、「今夜はビート・イット」、「スリラー」はミュージック・ビデオが大きな話題となり大ヒットした。特にジョン・ランディス監督による「スリラー」は最も偉大なビデオといわれている。91年には1000万枚を売り上げた『デンジャラス』を発表、シングル「Black or White」が7週連続1位となった。しかし93年に性的虐待疑惑が持ち上がりその後は勢いを失った。94年にジャネットとのデュエットが話題となった「Scream」が発売されたが、ジャネットの人気が勝っているという印象だった。「You Are Not Alone」が史上初の初登場全米1位となり、地球の環境破壊を歌い上げた「Earth Song」がイギリスで大ヒットした。2000年代には音楽活動以外の話題が多くなり、09年6月急死した。
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マーヴィン・ゲイ(Marvin Gaye)
ダニー・ハサウェイやスティーヴィー・ワンダーに影響を与え、「ニューソウル」というジャンルを確立した偉大なシンガー。ファルセット・ヴォイスと美しいテナーの声質で、セクシーなヴォーカリストとしても一世を風靡した。39年ワシントンD.C生まれ。60年にモータウンと契約し、61年デビュー以来順調にキャリアを形成。68年「悲しい噂」が全米ナンバーワンとなり、トップアーティストの仲間入りを果たした。67年からはタミー・テレルとのデュエットで"Ain't No Mountain High Enough"や"Ain't Nothing Like the Real Thing"などのヒットを放ち大成功を収めた。70年にステージ上でタミーが彼の腕の中でなくなるという悲劇で音楽活動を中断した。そこで色々と考えることがあったのか、71年にはベトナム戦争、貧困といった社会問題を取り上げたコンセプト・アルバム『ホワッツ・ゴーイン・オン』を発表し、絶賛された。表題曲が全米2位となり、「マーシー・マーシー・ミー」も大ヒットし、見事にカムバックを果たした。73年には今度はセックスをテーマにした「レッツ・ゲット・イット・オン」が全米1位となり、セックス・シンボルとなった。その後も離婚をテーマにした『離婚伝説』、再び性愛への欲求をテーマにした『アイ・ウォント・ユー』を発表、またシングル「黒い夜(77年)」も全米1位となった。離婚・麻薬などの問題でその後は低迷したが82年に「セクシャル・ヒーリング」が大ヒット、2度目の復活を果たす。しかし84年実父に射殺されるという悲劇的な最期を遂げた。
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メジャー・ハリス(Major Harris)
フィラデルフィアソウルでも抜群の美声の持ち主。47年ヴァージニア州リッチモンド生まれ。喘ぎ声が聞こえてくる美しいバラード「Love Won’t Let Me Wait」が75年にR&Bチャートで1位となった。
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リック・ジェームス(Rick James)
80年代を代表するファンク・ミュージシャン。48年ニューヨーク州バッファロー生まれ。当初はモータウンで作曲家として活動した。73年「My Mama」でデビュー。78年『Come Get It!.』でアルバム・デビュー。「ユー・アンド・アイ」とマリファナ賛歌の「メリー・ジェーン」が大ヒットした。81年に『ストリート・ソングス』を発表、後にMCハマーがサンプリングするイントロが強烈な代表曲「「スーパー・フリーク」が日本を含め大ヒットした。この後も"Cold Blooded"、ロクサーヌ・シャンテを迎えた「ルージーズ・ラップ」(88年)などをヒットさせた。90年代以降は低迷してしまった。
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ロイ・エアーズ(Roy Ayers)
ジャズをベースにファンク、ソウルなどとの融合を目指す独自の音と追求しているヴィブラフォン奏者。40年ロサンゼルス出身。チコ・ハミルトン楽団などでジャズ・ヴィブラフォン奏者としてキャリアをスタート、その後自身のバンドを結成。75年にはヒットした「Evolution」や「Brother Green」を収録した『Mystic Voyage』、 76年には名曲の表題曲を収録した名盤『Everybody Loves The Sunshine』、最大のヒットとなった「Running Away」を発表、エレガントな独自の音楽性を確立した。







