50年代以前アメリカ/イギリス映画女優
ヴィヴィアン・リー、エリザベス・テイラー、オードリー・ヘプバーン、グレース・ケリー、マリリン・モンローなど42人の女優を調べることができます。
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アン・バクスター(Anne Baxter)
『イヴの総て』のイブ役で有名な女優。祖父は建築家のフランク・ロイド・ライト。1923年インディアナ州出身。40年映画デビュー。41年のフランスの名匠ジャン・ルノワール監督による南部の村での事件を描いた『スワンプ・ウォーター』で早くも主役を見事に演じ注目される。42年の時代の変遷に翻弄される大富豪アンバーソン家の長男を描いた『偉大なるアンバーソン家の人々』でも長男の恋人を熱演した。46年には『剃刀の刃』でアルコール中毒症の娘を演じてアカデミー助演女優賞を受賞した。50年には『イヴの総て』で、ベティ・デイヴィス演じる大女優を踏み台にのし上がる小生意気な新人女優イヴを演じアカデミー主演女優賞にノミネートされ、トップスターの地位を確立した。56年にはセシル・B・デミルの超大作『十戒』でヘストン演ずるモーゼを愛したが、ブリンナー演ずる王の后となり苦しむエジプトの王女を演じた。60年代以降は舞台で活躍した。
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イングリッド・バーグマン(Ingrid Bergman)
「モロッコ」などで有名なハリウッドで活躍したスウェーデン出身の美人女優。アカデミー主演女優賞を2度受賞するなど演技力も高かった。イザベラ・ロッセリーニは娘。1915年ストックホルム出身。32年映画デビュー。36年にはスウェーデン映画『間奏曲』で妻のいる男に恋するピアニストを主演し、人気となった。その後アメリカに招かれ39年に『間奏曲』のリメイクである『別離』に主演、ハリウッドの女優には見られない独特の気品と美しさ、スウェーデン訛りの英語、高い演技力で人気が爆発した。42年の『カサブランカ』でハンフリー・ボガート演ずる元夫と現在の夫を脱出させねばという義務感の間に心が揺れるエルザ一を演じ、スターの地位を確立した。43年にはヘミングウェイ原作でゲーリー・クーパー共演の『誰がために鐘は鳴る』でヘミングウェイに指名されヒロインのマリア役を好演、アカデミー賞にノミネートされた。44年の『ガス燈』でアカデミー主演女優賞を獲得、人気・実力共にトップ女優となった。その後アルフレッド・ヒッチコック監督の傑作スリラー『白い恐怖』(45年)や『汚名』(46年)に出演し、成功を収めた。しかし演技派女優としての転身を狙った48年の『ジャンヌ・ダーク』やレマルク原作の『凱旋門』は興行的に振るわずスランプに陥ってしまった。さらにロベルト・ロッセリーニ監督の『無防備都市』(45)を観て感動したバーグマンは夫と子供を捨ててロッセリーニの下に走るという大スキャンダルを引き起こし、ハリウッドから追放されてしまった。ロッセリーニとの不倫も破局を迎えた56年にジャン・ルノワール監督の『恋多き女』に出演して、コメディエンヌとしての新たな一面を披露、同年の亡きロシア帝国ロマノフ王朝の皇女アナスタシアが生きているという陰謀を描いた『追想』では2度目のアカデミー主演女優賞を受賞した。74年には『オリエント急行殺人事件』で同助演女優賞を受賞した。78年には母国スウェーデンに戻り巨匠イングマール・ベイルマン監督の『秋のソナタ』に出演、娘と対立する名ピアニストの母親を熱演して絶賛を浴びた。
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ヴィヴィアン・リー(Vivien Leigh)
『風と共に去りぬ』のスカーレット役で有名な美人女優。2度のオスカーに輝く演技派でもある。ローレンス・オリヴィエの妻でもあった。1913年インド・ダージリン出身、ロンドン育ち。5歳から上流家庭の娘としロンドンの寄宿学校で育った。18歳でイギリスの王立演劇アカデミーに入学、32年に結婚、33年には子供も生まれたが舞台に戻る。34年にはイギリス映画『Things Are Looking Up』で映画デビュー、舞台『美徳の仮面』でスターとなった。37年に『無敵艦隊』、『二十一日間』で共演したローレンス・オリヴィエと共に家族がありながらも恋に落ちた。その後『嵐が丘』の撮影でハリウッドに渡ったオリヴィエを追って渡米、難航していた超大作『風と共に去りぬ』の主人公スカーレット・オハラ役に抜擢された。39年の同作でアカデミー主演女優賞を受賞、世界的なスターとなった。40年にはオリヴィエの演出、主演によるブロードウェイ舞台『ロミオとジュリエット』でジュリエットを演じ、彼と再婚するなど私生活でも栄冠を手にした。 さらに同年には傑作『哀愁』でロバート・テイラーの相手役を務め、 『美女ありき』で私生活そのままにオリヴィエ扮するナポレオン戦争の英雄ネルソン提督と禁断の恋に落ちる夫人を熱演した。 51年にはエリア・カザン監督の『欲望という名の電車』で肺結核と躁鬱病に悩まされながらも、マーロン・ブランドらアクターズ・スタジオ出身の俳優達と互角に渡り合いブランチ役を熱演、2度目のアカデミー主演女優賞を獲得した。 その後は病状が悪化、53年の『巨象の道』では途中で降板してしまった。60年にはオリヴィエと離婚、67年逝去。
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ヴァージニア・メイヨ(Virginia Mayo)
40年代~50年代に活躍したアメリカのセクシー女優。ダニー・ケイの相手役としてお馴染み。1920年ミズーリ州出身。44年『ダニー・ケイの新兵さん』でデビュー。以降45年には『ダニー・ケイの天国と地獄』、47年には『ダニー・ケイの牛乳屋』と『虹を掴む男』、48年には『ヒットパレード』とダニー・ケイの相手役として人気を博した。49年にはジェームズ・キャグニーの最高傑作といわれる『白熱』でキャグニー演じるギャングの妻を演じ、新境地を開拓した。51年には『艦長ホレーショ』で グレゴリー・ペックの相手役を務めた。その後はB級作品の出演が多くなってしまった。
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エスター・ウィリアムズ(Esther Williams)
1923年ロサンゼルス生まれ。38年には15歳で全米大学選手権において世界記録を達成した。42年に『アンディ・ハーディ』で映画デビュー。以降『世紀の女王』(44年)、『水着の女王』(49年)、『百万弗の人魚』(52年)などのMGMミュージカル作品で人気となった。
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エヴァ・ガードナー(Ava Gardner)
インディアンの血を引くエキゾチックな顔立ちが特徴の女優。ファム・ファタールとして高い人気を博した。実生活でもミッキー・ルーニー、ハワード・ヒューズ、フランク・シナトラなど多くの一流男性を虜にした。1922年ノースカロライナ州出身。強いアメリカ南部訛のため初期はセリフの少ない仕事が多かった。46年に『殺人者』でバート・ランカスター演ずる主人公をを破滅に追い込むファム・ファタールを演じ、ブレイクした。51年にはブロードウェイのヒット・ミュージカルの映画化『ショー・ボート』で黒人と白人のハーフ、ジュリー役での迫真の演技でスターの座を不動のものにした。52年にはヘミングウェイの小説を映画化した『キリマンジャロの雪』でグレゴリー・ペックと共演した。32年の『紅塵』のリメイクである53年の『モガンボ』ではかつてジーン・ハーローが演じたエロイズ役を熱演、アカデミー主演女優賞に初ノミネートされた。54年の『裸足の伯爵夫人』では伯爵夫人にまでの上り詰めるマドリッドの裸足のフラメンコダンサーを熱演した。この作品でスペイン熱にとりつかれスペインに移住、57年にはヘミングウェイ原作でスペインを舞台とする『陽はまた昇る』に主演した。63年には義和団事件を描いた『北京の55日』でチャールトン・ヘストンと共に主演を務めた。その後70年代まで銀幕で活躍した。
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エヴァ・マリー・セイント(Eva Marie Saint)
『北北西に進路を取れ』のケーリー・グラントの相手役などで有名な遅咲きの女優。1924年ニュージャージー州ニューアーク出身。出世作の54年の『波止場』でアカデミー助演女優賞を受賞した時はすでに30歳だった。57年にはリズとモンゴメリー・クリフト主演の名作『愛情の花咲く樹』でも存在感のある演技を披露した。そして59年にはヒッチコックの名作『北北西に進路を取れ』でケーリー・グラントの、60年にはイスラエル建国を描いた『栄光への脱出』でポール・ニューマンの相手役となる主役を射止めた。
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エリザベス・テイラー(Elizabeth Taylor)
絶世の美女と呼ばれたアメリカの女優。愛称はリズ。1932年イギリス・ロンドン出身。42年に10歳で映画デビュー。43年に「名犬ラッシー」シリーズ第一作『家路』のヒロイン役に抜擢され、一躍人気となり子役として活躍した。44年には『緑園の天使』に主演、少女とは思えない高い演技と美貌で人気を決定付けた。49年には『若草物語』で三女のエイミー役を演じ。50年の『花嫁の父』では結婚式を控えた娘役を熱演、実生活でもホテル王ヒルトンの息子と結婚、映画は大ヒットとなった。51年にはモンゴメリー・クリフト共演の『陽のあたる場所』で富豪の令嬢を好演、52年には『黒騎士』、54年には降板した ヴィヴィアン・リーの代役で『巨象の道』、56年にはジェームズ・ディーン共演の『ジャイアンツ』など話題作で主役を演じた。57年には『愛情の花咲く樹』、58年には『熱いトタン屋根の猫』、59年には『去年の夏突然に』でオスカーにノミネートされ、トップスターの地位を確立した。『そして60年に『バタフィールド8』で遂にアカデミー主演女優賞を受賞した。63年にはエジプト女王クレオパトラとアントニーとの愛を描いた歴史大作『クレオパトラ』に主演した。この映画で共演したリチャード・バートンと恋に落ち、二人とも離婚の上64年に結婚した。以後『予期せぬ出来事』(6年3)、『いそしぎ』(65年)、『バージニア・ウルフなんかこわくない』(66年)、『じゃじゃ馬ならし』(67年)の5作品で共演、『バージニア・ウルフなんかこわくない』では2度目のアカデミー主演女優賞を受賞、演技派女優への転身を果たした。
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エレノア・パーカー/エリノア・パーカー(Eleanor Parker)
千の顔を持つ女と呼ばれ、様々な役を演じたハリウッドの名女優。1922年オハイオ州出身。41年にエロール・フリンの代表作『壮烈第七騎兵隊』でデビュー。47年には『嘆きのプレリュード』でフリンの相手役を務め、48円には『白いドレスの女』で主役を務めるなど既にスターとしての地位を確立した。50年には『女囚の掟』でアカデミー賞主演女優賞にノミネートされ、ヴェネツィア国際映画祭女優賞を受賞した。51年にはウィリアム・ワイラー監督の名作『探偵物語』でカーク・ダグラスが演じた主人公を支える妻を見事に演じ、2年連続でアカデミー賞主演女優賞にノミネートされた。52年にはフランス革命を舞台とする『血闘』でスチュワート・グレンジャーの相手役を務めた。55年には『黄金の腕』でシナトラと共演、『わが愛は終りなし』で3度目のアカデミー主演女優賞にノミネートされた。65年には『サウンド・オブ・ミュージック』で男爵夫人を演じ往年のファンを喜ばせた。60年代からはテレビで活躍した。
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オリビア・デ・ハビランド/オリヴィア・デ・ハヴィランド(Olivia De Havilland)
日本では『風と共に去りぬ』のメラニー役で有名な名女優。2度アカデミー主演女優賞を受賞している。妹は子供の頃からのライバルであるジョーン・フォンテイン。1916年東京帝国大学の教師を務めていた父の仕事の関係で東京で生まれる。2歳の時サンフランシスコに移転。34年に舞台『真夏の夜の夢』のハーミア役が絶賛され35年の同作の映画版で映画デビューを果たした。同年には『海賊ブラッド』でエロール・フリンのヒロイン役を務め、一気にスターとなった。フリンとはその後『進め龍騎兵』(36年)、『ロビンフッドの冒険 』(38年)、『壮烈第七騎兵隊』(41)など9本の映画で共演した。39年には大作『風と共に去りぬ』でスカーレットの親友メラニー役に抜擢され名演を残し、アカデミー助演女優賞にノミネートされた。この後演技派女優への転身に成功し、41年にはシャルル・ボワイエの恋人を演じた『Hold Back the Dawn』でアカデミー主演女優賞に初ノミネートされ、46年には『遥かなる我が子』でわが子を手放すことになった未婚の母親の苦悩を演じ、アカデミー主演女優賞を受賞した。48年には『蛇の穴』で精神病院に収容された作家を熱演しヴェネツィア国際映画祭女優賞を受賞、さらに49年には『女相続人』で二度目のアカデミー主演女優賞を獲得した。
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オードリー・ヘップバーン/オードリー・ヘプバーン(Audrey Hepburn)
「妖精」と呼ばれ、マリリン・モンローと並び世界中で愛された女優。スレンダーなボディとサブリナパンツなどジバンシーがデザインした衣装でファッション・トレンドも一新した。米国映画協会の「最も偉大な女優50選」では第3位に選ばれている。1929年ベルギー・ブリュッセル生まれ。5歳からイギリスの寄宿学校で育つ。52年の『初恋』で初主演。『ジジ』の作者で女性作家のコレットに気に入られ『ジジ』のブロードウェイ公演の主役に抜擢された。53年にはウィリアム・ワイラー監督の『ローマの休日』のアン王女役で主演デビューを飾り、妖精のような愛らしさでデビュー作でアカデミー主演女優賞を獲得、一躍トップスターとなった。続いて舞台『オンディーヌ』に出演、トニー賞主演女優賞を受賞、舞台女優としても成功、演技力も認められた。その後54年にはサブリナパンツも大流行した『麗しのサブリナ』、57年にはアステア共演のミュージカル『パリの恋人』、59年には英国アカデミー賞女優賞受賞の『尼僧物語』、61年にはティファニーを一躍有名にしたカポーティ原作の『ティファニーで朝食を』、64年には花売り娘イライザがレディに変身するシンデレラストーリー『マイ・フェア・レディ』等に多くの名作に主演した。67年の盲目の人妻を演じたサスペンス『暗くなるまで待って』を最後に銀幕から遠ざかっていたが、76年に中年になったロビン・フッドと恋人のマリアンを描いた『ロビンとマリアン』でション・コネリーと主演し、ファンを驚かせた。89年の引退後はユニセフ親善大使に就任、内戦の続くアフリカの子どもたちを支援した。93年逝去。
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キム・ノヴァク(Kim Novak)
妖艶な美貌で50年代に高い人気を博した女優。1933年イリノイ州シカゴ出身。54年に『フランス航路』で映画デビュー。55年には『黄金の腕』でシナトラの相手役を務め、さらに名作『ピクニック』で主役を務め、ブレイクした。56年にはタイロン・パワー共演の実在のピアニスト、エディ・デューチンの生涯を描いた代表作『愛情物語』も大ヒットとなった。58年にはアルフレッド・ヒッチコック監督の『めまい』と魔女に扮した『媚薬』でトップ・スターのジェームズ・ステュアートと共演した。その後も60年代まで活躍した。
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キャサリン・ヘプバーン(Katharine Hepburn)
現在までただ一人4度のアカデミー賞主演女優賞に輝く名女優。30年代~50年代には知的な雰囲気を持つ、演技もできる美人女優としてハリウッドに君臨した。米国映画協会による米国で「最も偉大なる女優50名」の第1位。1907年コネチカット州ハートフォードで医者の娘として生まれる。32年に『愛の嗚咽 』で映画デビュー。33年には『勝利の朝』で女優志願の娘を熱演しアカデミー主演女優賞を、大ヒットとなった『若草物語』で主役の次女ジョーを演じヴェネツィア国際映画祭女優賞を受賞、名実ともにトップ女優となった。その後38年の大作『赤ちゃん教育』まで失敗作が続いたが舞台『フィラデルフィア物語』が大ヒット、40年には映画版『フィラデルフィア物語』も大成功を収め、復活を果たした。42年にはヒット作『女性No.1』でスペンサー・トレイシーと運命的な出会いを果たし、『火の女』(42)、『大草原』(47)、『アダム氏とマダム』(49)、2度目のアカデミー主演女優賞を獲得した『招かれざる客』(67)など9作で共演、67年のトレイシーの死までパートナーとして過ごすこととなった。51年にはボガート共演・ジョン・ヒューストン監督の『アフリカの女王』、55年にはヴェニスを舞台とした恋愛映画の名作デビッド・リーン監督の『旅情』、59年には『去年の夏突然に』といった話題作に出演した。68年にはピーター・オトゥール共演のイギリス国王ヘンリー2世と王妃エレノアを描いた『冬のライオン』で3度目のアカデミー主演女優賞を手にした。 81年にはヘンリー・フォンダにオスカーをとらしてやってくれとジェーン・フォンダに乞われて出演した『黄昏』で4度目のアカデミー主演女優賞を受賞した。 03年逝去。
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クローデット・コルベール(Claudette Colbert)
『或る夜の出来事』で有名なアメリカの女優。1903年フランス生まれ・ニューヨーク育ち。23年舞台デビュー。27年にフランク・キャプラ監督の『力漕一挺身』で映画デビュー。29年『女は嘘つき』がヒット、スターに。34年にクラーク・ゲイブル共演の『或る夜の出来事』で、父親に勝手に結婚相手を決められ逃げ出したお嬢様役を演じ、アカデミー主演女優賞を受賞した。同年にはセシル・B・デミル監督の『クレオパトラ』でエジプト女王クレオパトラを演じた。38年にはゲイリー・クーパー共演の『青髭八人目の妻』、39年にはジョン・フォード監督の『モホークの太鼓』など多くのヒット作に主演した。87年のテレビ作品『グレンヴィル家の秘密』でゴールデングローブ賞を受賞した。
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グレタ・ガルボ(Greta Garbo)
ディートリッヒと並ぶハリウッドの伝説的スター。クールで、ミステリアスなイメージが特徴だった。1905年スウェーデン・ストックホルム生まれ。24年にスウェーデン映画『イェスタ・ベルリングの伝説』のヒロインに抜擢され、ヨーロッパ中で大ヒットとなり一躍スターに。26年には『イバニエスの激流』でハリウッド・デビューを飾った。27年にはジョン・ギルバートと『肉体の悪魔』で共演、「最高の美男美女カップル」と評された。私生活でもギルバートとの仲がとりざたされ、27年には『アンナ・カレニナ』、28年には『恋多き女』でも共演を果たした。30年には『アンナ・クリスティ』で初のトーキーに挑戦、ハスキー・ボイスとスェーデン訛りの英語が絶賛され、アカデミー主演女優賞に初ノミネートされた。その後も悲劇の女スパイを演じた代表作『マタ・ハリ』(31年)、落ち目のバレリーナを演じた『グランド・ホテル』(32年)、『クリスチナ女王』(33年)などのヒット作に出演、人気は絶頂に達した。37年には『椿姫』でニューヨーク批評家協会最優秀女優賞を受賞した。その後は人気と衰え41年の『奥様は顔が二つ』を最後に36歳で引退、亡くなるまで一度も公の場に姿を現さなかった。
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グレース・ケリー(Grace Kelly)
気品のある美貌で「クールビューティー」と呼ばれモナコ公国レーニエ大公妃となったハリウッド女優。エルメスの「ケリーバッグ」でも有名。1929年ペンシルベニア州フィラデルフィア出身。高校卒業後アメリカ舞台芸術アカデミーに入学、49年に舞台『父』でブロードウェイデビュー。51年に『Fourteen Hours』で映画デビュー。52年にゲーリー・クーパー共演の名作西部劇『真昼の決闘』のヒロインに抜擢され、注目を集めた。53年には『モガンボ』でクラーク・ゲイブル扮する主人公に思いを寄せる清楚な若妻を熱演し、アカデミー助演女優賞にノミネートされ、スターダムに。ヒッチコックにも気に入られ、『ダイヤルMを廻せ』(54年)、『裏窓』(54年)、『泥棒成金』(55年)と連続でヒロインに抜擢された。55年には『喝采』で主人公演ずるビング・クロスビーの情緒不安定な妻役でアカデミー主演女優賞を受賞した。また同年のカンヌ映画祭でモナコ王国レーニエ大公と出会い56年に結婚、シンデレラ・ストーリーとして世界中の話題をさらった。最後の出演作『上流社会』(56年)も大ヒットとなり、 ビング・クロスビーとデュエットした「トゥルー・ラブ」はミリオン・セラーとなった。82年交通事故死。
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ジェニファー・ジョーンズ(Jennifer Jones)
『慕情』や『終着駅』など悲劇の主人公役で有名な演技派女優。1919年オクラホマ州タルサ出身。39年に俳優ロバート・ウォーカーと結婚。43年には後に夫となる映画製作者のセルズニックに抜擢され『聖処女』で主役の聖女ベネディクトを演じ、いきなりアカデミー主演女優賞を受賞した。46年の『白昼の決闘』では野生の女パールを演じ、大ヒットとなった。53年にはイタリアの名匠ヴィットリオ・デ・シーカ監督の『終着駅』でモンゴメリー・クリフト扮するイタリア人青年と2時間だけの情事に身をゆだねる人妻を演じ、日本でも大ヒットとなった。55年には香港を舞台にした映画音楽も有名な名作『慕情』で、ウィリアム・ホールデン扮する新聞記者との悲しい恋に没頭する女医を熱演した。60年以降は夫のセルズニックの後ろ盾も失い、人気も失速した。
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ジェーン・ラッセル(Jane Russell)
40年代~50年代を代表するグラマー女優。1921年ミネソタ生まれ。40年にハワード・ヒューズが制作する映画『ならず者』のヒロインに抜擢され、43年に公開。しかし検閲に触れ、上映中止に追い込まれ、セックス・シンボルとして一躍有名となった。48年にはボブ・ホープのヒット作『腰抜け二挺拳銃』と52年の続編ではヒロインのカラミティ・ジェーン役を務めた。53年にはマリリン・モンロー共演の『紳士は金髪がお好き』が大ヒットとなった。
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ジャネット・リー(Janet Leigh)
ヒッチコックの『サイコ』の絶叫するシャワーシーンで有名なアメリカの女優。トニー・カーティス元夫人。1927年カリフォルニア州マーセド出身。47年に映画デビュー。49年にはエリザベス・テイラー、マーガレット・オブライエン、ジューン・アリソン共演の『若草物語』で長女のメグを演じ注目された。58年にはオーソン・ウェルズ監督によるフィルム・ノワール『黒い罠』でチャールトン・ヘストンと共演した。60年には『サイコ』でアカデミー賞にノミネート、ゴールデングローブ賞を受賞した。62年にはシナトラ共演の『影なき狙撃者』、63年にはミュージカルの映画化『バイ・バイ・バーディー』などに出演した。79年にはジョン・カーペンター監督のホラー大作「ザ・フォッグ」で往年のファンの前に存在感を示した。
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ジュディ・ガーランド(Judy Garland)
「オズの魔法使い」などで知られるミュージカル・スター。後年はジャズ歌手として活躍した。22年ミネソタ州出身。29年に2人の姉と共にガム・シスターズの一人として歌手デビュー、映画デビューも果たした。39年には大ヒットミュージカル『オズの魔法使』のドロシー役でアカデミー子役賞を受賞、大ブレイクを果たした。以降『ブロードウェイ』(41年)、『ガール・クレイジー』(43年)、ヴィンセント・ミネリ監督の『若草の頃』(44年)でミッキー・ルーニーの相手役を務めて人気を確立した。45年にはミネリ監督と結婚した。48年には大ヒットとなったフレッド・アステアの映画復帰作『イースター・パレード』でアステアの相手役を務めた。しかし49年には映画『アニーよ銃をとれ』の撮影中に精神異常状態となり役を降ろされ、50年にはMGMを解雇された。54年には『スタア誕生』で復活、熱演しアカデミー主演女優賞にノミネートされた。その後再び病状の悪化でスクリーンから遠ざかったが、61年『ニュールンベルク裁判』に出演、アカデミー助演女優賞にノミネートされた。またカーネギー・ホールでのライブ・アルバムがグラミー賞のアルバム・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。69年逝去。
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ジューン・アリソン(June Allyson)
『グレン・ミラー物語』でのグレン・ミラーの妻役で有名なアメリカ女優。良妻賢母のイメージで人気を博した。1917年ニューヨーク・ブロンクス出身。41年のミュージカル『Best Foot Forward』が評判となり43年の映画版で映画デビューを果たした。44年にはヒロインを演じた慰問ミュージカル映画『姉妹と水兵』が大ヒット、スターとなった。47年には代表作の学園物ミュージカル映画『グッド・ニュース』、48年にはジーン・ケリーと共演した『三銃士』に主演した。49年の大作『若草物語』では主人公のジョーを演じ、マーガレット・オブライエンとエリザベス・テイラーと共演した。 ジェームズ・ステュアートとの共演が多く『甦る熱球』(49年)、代表作『グレン・ミラー物語』(54年)、『戦略空軍命令』(55年)の3本で彼の妻役を演じている。51年には『Too Young to Kiss』でゴールデングローブ賞ミュージカル・コメディ部門の主演女優賞を受賞した。
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ジョーン・フォンテーン/ジョーン・フォンテイン(Joan Fontaine)
1917年東京生まれ。姉のオリヴィア・デ・ハヴィランドは子供時代からのライバル。35年の『男子牽制』で映画デビュー。37年のミュージカル『踊る騎士』でジンジャー・ロジャースに代わりフレッド・アステアの相手役を務め注目された。39年のアドベンチャー大作『ガンガ・ディン』でケーリー・グラントやビクター・マクラグレンらを虜にするヒロインを熱演した。40年にはアルフレッド・ヒッチコック監督の『レベッカ』でアカデミー主演女優賞にノミネートされた。41年にはヒッチコックのスリラー『断崖』で遂にアカデミー主演女優賞を受賞した。その後も3度目のアカデミー主演女優賞にノミネートされた『永年の処女』(43年)や『ジェーン・エア』(44年)などでヒロイン役を務めた。 48年にはビリー・ワイルダー監督のミュージカル『皇帝円舞曲』ではコミカルなロマンスを演じて新たな一面を披露した。49年には名作『忘れじの面影』、50年には『旅愁』といた名作で印象的な演技を披露した。
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ジンジャー・ロジャース(Ginger Rogers)
フレッド・アステアとコンビで有名な女優・ダンサー。1911年ミズーリ州生まれ。30年に『恋愛四重奏』で長編映画デビュー。33年には『ゴールド・ディガーズ』で「We are in the Summer」を歌い注目され、『空中レヴュー時代』でフレッド・アステアと「キャリオカ」で息の合ったダンスを披露し、ブレイクした。34年の二人の初主演作『コンチネンタル』で一気にトップスターに躍り出た。以降『ロバータ』(35年)、『トップ・ハット』(35年)、『艦隊を追って』(36年)、『有頂天時代』(36年)、『踊らん哉』(37年)などの二人のダンス・ミュージカルが大ヒットとなった。ダンス映画だけでなくドラマにも出演、40年には『恋愛手帖』でアカデミー主演女優賞を受賞、演技力も認められた。42年にはケーリー・グラント共演の『恋の情報網』や『少佐と少女』、52年にはケーリー・グラント、マリリン・モンロー共演の『モンキー・ビジネス』に出演した。
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ジーン・アーサー(Jean Arthur)
ハスキー・ボイスのキャリア・ウーマン役で人気を博した女優。1900年ニューヨーク州出身。23年にジョン・フォード監督の『侠骨カービー』で映画デビュー。28年の『野球王』でスターとしての地位を確立した。31年には映画界を離れてニューヨークに戻り舞台で演技を磨き直した。36年にフランク・キャプラ監督の『オペラハット』でゲーリー・クーパー演ずる富豪の遺産の相続人に取材を試みる女性記者を好演、スターの座に返り咲いた。二人は同年のセシル・B・デミル監督の名作西部劇『平原児』でもワイルド・ビル・ヒコックとカラミティ・ジェーンを熱演した。37年には『歴史は夜作られる』でシャルル・ボワイエの相手役を務めた。キャプラの名作『我が家の楽園』(38年)と『スミス都へ行く』(39年) では、ジェームズ・スチュワート演ずる主人公を支えるヒロインを見事に演じた。43年には『西部を駆ける恋』ではアカデミー主演女優賞ノミネートを果たした。開拓者の妻を好演した53年の名作西部劇『シェーン』が最後の出演作となった。
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ジーン・シモンズ(Jean Simmons)
ハリウッドで史劇を中心に活躍したイギリスの女優。清楚な美しさで高い人気を博した。1929年イギリス・ロンドン出身。44年に映画デビュー。47年にデボラ・カー共演の『黒水仙』で注目された。48年にはオリヴィエ監督・主演の『ハムレット』でオフィーリア役を演じ、ヴェネツィア国際映画祭女優賞を受賞した。49年の『Adam and Evelyn』で共演したスチュワート・グレンジャーと50年に結婚した。その後53年には史劇『聖衣』、55年にはブランド、シナトラ共演の『野郎どもと女たち』、58年にはペック、ヘストン共演の西部劇『大いなる西部』、60年にはダグラス演ずるスパルタカスの妻を演じたローマ時代の剣闘士の反乱を描いた『スパルタカス』など、多くのヒット作に主演した。
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ジーン・セバーグ(Jean Seberg)
セシルカットで一世を風靡した女優。38年アイオワ州出身。17歳のときにオットー・プレミンジャー監督の『聖女ジャンヌ・ダーク』でデビュー。57年にはフランソワーズ・サガンのベストセラーをプレミンジャーが映画化した『悲しみよこんにちは』に出演、父の再婚を邪魔しようと画策するボーイッシュな17 歳の少女を演じ、センセーションを巻き起こした。ベリーショートのヘアスタイルが「セシルカット」として大流行した。59年にはジャン・リュック・ゴダールの初監督作品『勝手にしやがれ』にジャン=ポール・ベルモンドと共に主演、ヌーヴェルヴァーグの寵児となった。60年にはモーリス・ロネ共演の『さよならパリ』に出演した。その後はヒット作に恵まれなかったが70年のオールスターキャストの『大空港』で久しぶりの存在感を見せた。
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デビー・レイノルズ(Debbie Reynolds)
MGMミュージカルで活躍した女優。32年テキサス州エル・パソ出身。48年に『花嫁の季節』で映画デビュー。52年に『雨に唄えば』のヒロイン役に抜擢されジーン・ケリーの相手役として見事なダンスを披露、一躍スターダムに昇った。56年には55年に結婚したエディ・フィッシャーとの共演作『歓びの街角』が大ヒットとなった。57年には『タミーと独身者』で歌った主題歌「タミー」が全米5週連続1位の大ヒットとなり、アカデミー音楽賞にノミネートされた。60年代にも活躍、『ママは二丁拳銃』(61年)、『西部開拓史』(62年)などのヒット作に出演した。 64年には『不沈のモリー・ブラウン』でアカデミー主演女優賞に初ノミネートされた。 70年代からはラス・ヴェガスの舞台で活躍した。
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デボラ・カー(Deborah Kerr)
50年代のハリウッドを代表するイギリスの名女優。「英国の薔薇」と呼ばれたエレガントで、知的で聡明な美しさが魅力だった。アカデミー賞を獲得できなかったものの6度もノミネートされ、演技力の高さにも定評があった。1921年スコットランド出身。41年『Major Barbara』で映画デビュー、同年の『Love on the Dole』では主演を務めた。43年にはマイケル・パウエル監督の『老兵は死なず』での3世代にわたる3役の演技が絶賛された。47年にはパウエル監督のヒマラヤの尼僧院を舞台にした『黒水仙』で尼僧のリーダー役が高く評価されニューヨーク批評家協会賞を受賞した。49年にはスペンサー・トレイシー共演の『Edward My Son』でアルコールに溺れる妻を熱演してアカデミー主演女優賞にノミネートされた。50年には『キング・ソロモン』、51年には『クォ・ヴァディス』、52年には『ゼンダ城の虜』と史劇のヒロインとして新たな一面を見せた。53年の『地上より永遠に』ではバート・ランカスターとの許されぬ恋を熱演、2度目のオスカーにノミネートされ、浜辺でのキス・シーンは映画史に残る名シーンとなった。56年のブロードウェイの大ヒットミュージカルを映画化した『王様と私』ではユル・ブリンナー演ずるシャム王に恋する英国人教師アンナを熱演し、3度目のアカデミー主演女優賞にノミネートされた。その後も『白い砂』(57年)、『旅路』(58年)、『サンダウナーズ』(60年)と6度もオスカーにノミネートされたが受賞できず、オスカーの偉大な敗者と呼ばれた。ケーリー・グラント演ずる画家と恋に落ちる歌手を演じた57年の『めぐり逢い』はすれちがいメロドラマの傑作で、その後2度もリメイクされた。60年代にはあまり作品に恵まれなかった。
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ドナ・リード(Donna Reed)
58年~66年に放映されたテレビ番組『うちのママは世界一』(ドナ・リード・ショー)で有名な女優。1921年アイオワ州生まれ。41年映画デビュー。46年にフランク・キャプラ監督の名作『素晴らしき哉、人生!』でジェームズ・ステュアートの相手役を務め、人気に。53年にはモンゴメリー・クリフト扮する主人公の愛人を演じた『地上より永遠に』でアカデミー助演女優賞を受賞した。55年には『ベニイ・グッドマン物語』でグッドマンの妻役を演じた。58年からは『うちのママは世界一』(ドナ・リード・ショー)でその親しみやすいキャラでお茶の間で高い人気を誇った。
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ドリス・デイ(Doris Day)
24年オハイオ州シンシナティ出身の女優兼歌手。40年レス・ブラウン楽団の専属歌手となり、44年「センチメンタル・ジャーニー」が大ヒット、一躍スターになり映画界に進出。主題歌を歌う主演女優として「Tea for Two」が主題歌の『二人でお茶を』(50)、「Secret Love」の『カラミティ・ジェーン』(53)、「ケセラセラ」が世界的大ヒットとなったヒッチ・コック映画『知り過ぎていた男』(56)などで活躍した。代表作はこれらの曲が聴けるベスト盤やアンドレ・プレビンのピアノ伴奏での『Duet』(61)、『LATIN FOR LOVERS』(64)など。
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ナタリー・ウッド(Natalie Wood)
『ウエスト・サイド物語』のマリア役で有名な女優。1938年カリフォルニア州サンフランシスコ出身。43年に映画初出演。47年の『三十四丁目の奇蹟』が大ヒットとなり、シャーリー・テンプルを次ぐ人気子役として期待された。55年には『理由なき反抗』でジェームズ・ディーンの相手役を務め、アカデミー助演女優賞にノミネートされた。56年にはジョン・フォード監督の名作西部劇『捜索者』でジョン・ウェインと共演した。61年にはウォーレン・ベイティと共演した『草原の輝き』、マリア役を演じた『ウエスト・サイド物語』でトップスターの地位を確立した。その後も ロバート・レッドフォードの出世作の『サンセット物語』(65年)、『雨のニューオーリンズ』(66年)などに主演した。81年に映画『ブレインストーム』の撮影中にボートの転覆事故で死亡した。
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バーバラ・スタンウィック(Barbara Stanwyck)
フランク・キャプラのお気に入りだった美人女優。アカデミー主演女優賞に4度ノミネートされた演技派女優でもあった。2度目の夫は俳優のロバート・テイラー。1907年ニューヨーク・ブルックリン出身。27年にミュージカル『Broadway Nights』のダンサー役で映画デビュー。30年にフランク・キャプラ監督『希望の星』がヒットし、キャプラの『奇蹟の処女』(31年)と『たそがれの女』(32年)、『風雲のチャイナ』(33年)に連続出演し、人気を確立した。37年には『ステラ・ダラス』では、娘の幸せを願う母親を熱演、アカデミー主演女優賞に初ノミネートされた。41年にはニューヨーク・タイムズでその年のベスト作品に選ばれた『レディ・イヴ』で華麗なドレスを見事に着こなしトレンド・セッターとしての地位を確立した。また同年にはゲーリー・クーパー共演のハワード・ホークス監督作品『教授と美女』の名演で再びアカデミー主演女優賞にノミネートされた。44年にはビリー・ワイルダー監督の傑作『深夜の告白』で男を翻弄し夫殺しを手伝わせる人妻というファムファタールを熱演、3度目のオスカーにノミネートされた。48年にも『私は殺される』でアカデミー主演女優賞にノミネートされた。50年代にも変わらぬ人気で活躍を続けた。60年代にはテレビで活躍し、60年~61年にはヴァラエティ番組『バーバラ・スタンウィック・ショー』で、65年~69年には人気ドラマ『バークレー牧場』で活躍した。
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ベティ・デイヴィス(Bette Davis)
2度のアカデミー主演女優賞に輝く名女優。キム・カーンズの名曲で有名な「ベティ・デイヴィスの目」と呼ばれた大きな目が特徴。1908年マサチューセッツ州ローウェル出身。31年『バッド・シスター』で映画デビュー。34年にサマセット・モーム原作の『痴人の愛』の演技が絶賛され、演技派女優としてスターダムに昇った。35年には『青春の抗議』で、38年には『黒蘭の女』でアカデミー主演女優賞を受賞した。その後も『月光の女』(40年)、『偽りの花園』(41年)、『情熱の航路』(42年)などで名演を見せ、38年から42年まで5年連続でアカデミー賞にノミネートされる快挙を成し遂げ、演技派女優としての名声を確立した。50年には演劇界の内幕を描いた名作『イヴの総て』で若い女優にスターの座を奪われることを恐れる往年の名女優を好演し、カンヌ映画祭主演女優賞を獲得した。
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マリリン・モンロー(Marilyn Monroe)
20世紀を代表するアメリカのセックス・シンボル。完璧なプロポーション、モンロー・ウォークと呼ばれたセクシーな歩き方、真っ赤に塗られた唇と口元のホクロ、プラチナ・ブロンドで、ジョン・F・ケネディ大統領をはじめとした世界中の男性を悩殺した。1926年カリフォルニア州ロサンゼルス出身。ピンナップ・ガールを経て48年映画デビュー。51年に『アスファルト・ジャングル』、『イヴの総てに端役で出演、注目された。52年には『モンキー・ビジネス』に出演、『ノックは無用』で初の主役に抜擢された。53年に『ナイアガラ』でモンロー・ウォークを披露、妖艶な悪女役を熱演し一躍人気となった。続く『紳士は金髪がお好き』(53年)、『百万長者と結婚する方法』(53年)が大ヒット、一躍トップスターとなった。54年にはニューヨーク・ヤンキースのジョー・デマジオと再婚、『ショウほど素敵な商売はない』や『帰らざる河』、 55年にはスカートがまくれあがるシーンで有名な『七年目の浮気』などで人気を確立した。その後演技派女優としての成功を望みニューヨークのアクターズ・スタジオに入学、演技指導を受けた。その甲斐もありマーロン・ブランドと共演した舞台『欲望という名の電車』、56年の『バス停留所』での演技は絶賛された。しかし57年頃から精神的に不安定な状態が続き、睡眠薬を飲みすぎたり自殺未遂を起こす。59年の最大のヒットとなった『お熱いのがお好き』以外は作品に恵まれなかった。62年5月には愛人と噂されたジョン・F・ケネディ大統領の45歳の誕生日パーティーで『ハッピー・バースデー・トゥーユー』を歌うなど元気が姿を見せていたが、62年8月に謎の死を遂げた。
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マレーネ・ディートリッヒ(Marlene Dietrich)
グレタ・ガルボと並ぶ30年代のハリウッドを代表する大女優。退廃的な雰囲気、ハスキーな歌声、脚線美が特徴だった。50年代以降は歌手とし活躍した。1901年ドイツ出身。22年に『ナポレオンの弟』で映画デビュー。30年にジョセフ・フォン・スタンバーグの名作『嘆きの天使』で真面目な老年の高校教師を堕落させる踊り子ローラを演じ、一躍スターダムに躍り出た。さらに同年にはハリウッドに招かれ、ゲイリー・クーパーと共演したスタンバーグ監督の『モロッコ』でその魅力を披露、アカデミー主演女優賞にノミネートされ一躍ハリウッドでのトップ・スターの地位を確立した。その後もスタンバーグ監督とのコンビで、女スパイを演じた『間諜X27』(31年)、上海リリーを演じた『上海特急』(32年)、『ブロンド・ヴィナス』(32年)、『恋のページェント』(34年)などに出演した。35年にはスタンバーグとのコンビを解消、37年にはイギリスで『鎧なき騎士』に出演した。ヒットラーの帰国願いを断り反ナチスの姿勢を鮮明にし、39年にはアメリカ国籍を獲得、ジェームズ・スチュワート共演のウェスタン『砂塵』に出演して新境地を開いた。40年代にもルネ・クレール監督の『焔の女』(41年)、『男性都市』(42年)、ジャン・ギャバン共演の『狂恋』(47年)、ビリー・ワイルダー監督の『異国の出来事』(48年)などに出演した。50年代からはエンターテイナーとしての活動が多くなり、世界中を巡業、名曲「リリー・マルレーン」などを歌い変わらぬ人気を博した。78年にはデビッド・ボウイ主演の『ジャスト・ア・ジゴロ』でカメオ出演を果たしたが、79年にコンサート中に足を骨折して引退した。
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マーガレット・オブライエン(Margaret O'Brien)
人気子役として活躍したアメリカの女優。37年カリフォルニア州サンディエゴ出身。41年映画デビュー。44年には末っ子トゥーティ役を演じた『若草の頃』で観客を魅了、アカデミー子役賞を受賞、一躍トップ・スターとなった。49年にはエリザベス・テイラーやジューン・アリソン共演のオルコット原作『若草物語』で末っ子のベスを演じ、観客の涙を誘った。さらに『秘密の花園』で主人公のメアリーを好演した。52年には来日して大映映画『二人の瞳』に出演、美空ひばりとの共演を果たした。 ティーンエージャーになってからは出演作が減り、テレビで活躍した。
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モーリン・オハラ(Maureen O'Hara)
ジョン・フォード監督の作品でお馴染みの女優。芯の強い女性というイメージにぴったりの赤く燃えるような髪が特徴。1920年アイルランド・ダブリン出身。38年に映画デビュー。39年にはアルフレッド・ヒッチコック監督の『岩窟の野獣』でチャールズ・ロートンの相手役に抜擢され注目された。同年に渡米し『ノートルダムの傴僂男』でロートン演ずる醜い傴僂男カジモドが恋心を抱くヒロインのエスメラルダ役でスターダムに躍り出た。41年には19世紀のイギリス・ウェールズの炭鉱町を舞台にしたジョン・フォード監督のアカデミー作品・監督賞などに輝いた名作『わが谷は緑なりき』に主演、フォードのお気に入りとなった。 フォード作品には50年の西部劇『リオ・グランデの砦』、二人の故郷アイルランドを舞台とした52年の『静かなる男』、56年の『荒鷲の翼』に出演、3作ともジョン・ウェインとのコンビで大ヒットを記録した。47年には名作クリスマス映画『三十四丁目の奇蹟』でキャリア・ウーマンを好演した。
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ラナ・ターナー(Lana Turner)
ブロンドでグラマラスなボディが特徴のセックス・シンボルとして人気を博したアメリカ女優。7回も結婚するなど私生活もスキャンダラスだった。特に暴力を振るう愛人を娘が殺害した事件は世間を騒がせた。1921年アイダホ州出身。37年映画デビュー。ジュディ・ガーランドらと3人のショーガールの主人公を演じた40年の『美人劇場』で注目された。46年には『郵便配達は二度ベルを鳴らす』で愛人をそそのかし夫を殺害させるファム・ファタールを演じ、セクシー女優としての地位を確立した。以降『悪人と美女』(52年)などに出演、57年には『青春物語』でアカデミー賞にノミネートされた。58年の刺殺事件後は徐々にスクリーンから遠ざかった。
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リタ・へイワース(Rita Hayworth)
40年代のセックス・シンボルとして活躍した女優・ダンサー。第二次世界大戦時にはアメリカ兵士たちのピンナップ・ガールとしても人気を博した。1918年ニューヨーク・ブルックリン出身。両親ともダンサーの家系に生まれ幼い頃からダンスに親しんだ。35年に『ダンテの地獄篇』でダンサー役で映画デビュー。39年にジーン・アーサー主演のハワード・ホークス監督の『コンドル』で注目された。41年にはジェームズ・キャグニー共演の『いちごブロンド』、タイロン・パワー共演の『血と砂』、フレッド・アステア主演のミュージカル『踊る結婚式』のヒロイン役に抜擢され、「ライフ」誌の表紙を飾るスターとなった。その後ジーン・ケリーと共演した『カバー・ガール』(44年)、アステアとの再共演を果たした『今宵よ永遠に』(45年)でスターとしての地位を確立した。 46年にはフィルム・ノワールの名作『ギルダ』に出演、グローブを脱ぎながら「Put the Blame on Mame」を歌うシーンが話題なり、セックス・シンボルとしての地位を獲得し、自身最大のヒットとなった。 47年の当時夫だったオーソン・ウェルズ監督の『上海から来た女』に主演するが失敗作に終わり、以降ヒット作に恵まれなかった。
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リリアン・ギッシュ(Lillian Gish)
メアリー・ピックフォードと並ぶサイレント時代を代表する名女優。アメリカの映画草創期を築いたD・W・グリフィスのお気に入りだった。1893年オハイオ州スプリングフィールド出身。サイレント映画を代表するグリフィス監督の大作である1915年の『國民の創生』や、タヴィアーニ兄弟監督による名作『グッドモーニング・バビロン!』でも紹介された16年の『イントレランス』に出演、一躍スターとなった。グリフィス監督作品には『散り行く花』(19年)、『嵐の孤児』(21年)にも出演した。その後はヴィクトル・シェストレム監督作品の『真紅の文字』(26年)や『風』(1928年)に出演し、サイレント期を代表する女優となった。87年の『八月の鯨』で90歳を超えているとは思えない若々しい容姿を披露、オールドファンを喜ばせた。
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ロレッタ・ヤング(Loretta Young)
大きな瞳が印象的なハリウッド女優。1913年ユタ州ソルトレイクシティ生まれ、ハリウッド育ち。27年に『娘新旧両面鏡』で映画デビュー。30年代には年に7,8本の映画に出演するスターとなった。38年には『スエズ』でタイロン・パワー演ずるレセップスの元恋人であるウージェニー皇后を演じた。47年に『ミネソタの娘』でアカデミー主演女優賞を受賞した。同年には『気まぐれ天使』ケイリー・グラント演ずる天使とデヴィッド・ニーヴン演ずる司教を翻弄する司教の魅力的な妻を演じ、高い評価を得た。後年は53年から61年まで放映されたテレビ番組『ロレッタ・ヤング・ショー』で活躍した。
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ローレン・バコール(Lauren Bacall)
「ザ・ルック(目線)」の愛称で親しまれる上目遣いの表情と、ハスキーボイスが特徴のクール・ビューティー。ハンフリー・ボガート夫人。1924年ニューヨーク出身。44年ハンフリー・ボガート共演の『脱出』で映画デビュー、高慢な女性像を演じ一躍スターに。翌年25歳年上のボガートと結婚、結婚生活はハリウッドでは珍しくボガートが亡くなるまで続いた。ボガートとはフィルム・ノワールの傑作『三つ数えろ』(46年)、『潜行者』(47年)、『キー・ラーゴ』(48年)でも共演を果たした。53年にはマリリン・モンロー共演の『億万長者と結婚する方法』がヒットした。その後はヒット作に恵まれず60年代からは舞台を中心に活動した。70年には『イヴの総て』の舞台版『アプローズ!』で映画でベティ・デイヴィスが演じたマーゴ役を演じ、トニー賞を獲得した。74年にはオールスター・キャストによるアガサ・クリスティの名作ミステリー『オリエント急行殺人事件』で存在感を発揮した。







